2012年~2013年度 11月例会報告 へぇー、800年の時空を超えた平家の想い ~ もう聞けない! 88歳の語り部が伝える歴史 ~
日時:2012年11月24日(土) 12:00〜16:00
場所:[昼食]平家の里(平家そば)香美町香住区余部2980
[例会]香美町香住区御崎 御崎公会堂
講師:岡辻増雄さん(御崎地区語り部)

■語り部
講師の岡辻さんは大正14年生まれの88歳。子どものころから歴史が好きで、おじいさんの語ってくれる昔話を何度も聞いて育った。それが頭に残り、求められて話をするようになり、今ではそれが生きがいとなっているという。耳が少し遠い、声にも張りがないとおっしゃりながら、背筋をピンと伸ばし、筋道立ててわかりやすくお話してくださった。

今回資料に使わせていただいた小冊子『御崎 平家村のおはなし』も岡辻さんのお話をベースに作られたものだ。

講師の岡辻さん

■平家落人の里
1185年、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の武将が散り散りに落ち延びた。そのうち、門脇宰相平教盛、伊賀平内左衛門家長、矢引六郎右衛門の乗った小舟が季節風によって西へ流され、伊笹岬の突端を曲がったあたりで山中に煙が上がっているのを見つけてたどり着いたのが、当時修行の場であった美伊神社である。そこで出会った森本浄実坊という荒野聖に諭され、この地に落ち着くことになった。三氏は当初、別々に分かれて住み、折に触れて集まっていたが、400年ほど経ったころ「源氏の追手が来ることももうないだろう」との判断で集まって住むことになり、今の御崎村が形成されたという。詳しい内容は上記小冊子を参照されたい。

小冊子『御崎 平家村のおはなし』

■ 平家蕪(かぶら)
昼食に出されたお漬け物は平家蕪。この地に古くから自生している蕪で、森林を切り開いたところにも自然に生えてくる。農業試験場が持ち帰って栽培を試みたこともあったが同じものはできなかった。漬け物の商品化も試みたが、今でも山に入って採ってくる必要があるため量産できず、訪れたお客さんに提供する程度しか作られていないそうだ。岡辻さんの長男のお嫁さんが切り盛りされている蕎麦処「平家の里」でいただくことができる。

蕎麦処「平家の里」

■ 百手(ももて)の儀式
毎年1月28日に行われる「百手」の儀式。平家の再興を祈念して、源氏に見立てた的に向けて101本の矢を射る行事である。地区の平内神社で行われるが、岡辻さんによると神事ではなくあくまでも「訓練」であるとのこと。「百手」という名前には「何回も繰り返して矢を射る」という意味があるそうだ。各地の平家村にも同じような行事が伝わっており、本数も様々だが、御崎の場合は、打ち初め(1本)+33本×3家(門脇・伊賀・矢引)+打ち終い(1本)で合計101本となっている。源氏がどうのという思いは今となってはまったくないが、これで負けん気が養われたのは確かだという。ちなみに、儀式の際などに使われる旗には揚羽蝶の紋が描かれているが、3家のうちの伊賀家の家紋を村の紋として使用しているという。

■ 近年の暮らし
現在、御崎地区には16世帯、約70人が住んでいる。昭和20年頃は48戸あったが、次第に減り、昭和35年頃までに35、6戸に。その後一気に24、5戸まで減ったが、近年の減少は緩やかである。現在住んでいる人は一度村を出て帰ってきた人も多く、そういった人は村に誇りを持っている。若いお嫁さんが意外と多い。御崎の子供は、小学校3年生まで余部小学校の御崎分校に通い、4年生からは本校に通う。現在の分校の児童数は小1、小2がひとりずつ。来年は各学年1人ずつになる予定だ。

余部小学校御崎分校

村の大きな収入源になっているのは山椒の葉。山で自生している山椒を採って個人で出荷していたが、現在は苗を育てて栽培し、農協を通じてまとめて出荷している。岡辻さんはハウス栽培の先駆けでもある。ハウスで栽培すると10日早く出荷できる。トゲがあるので収穫が大変だが、少量で高い値が付くという。村全体で7、8haほど栽培している。例会後、案内していただいた平内神社への参道脇にも山椒が栽培されていた。

山椒

漁業は、2ヵ所(御崎と鎧)に定置網を設置しているが、近年は収入が減っている。観光客もそれほど来ない。

昔から水が貴重な地区で、火事は大きな被害になっていた。昭和11年に上水道が敷設され、今ではその問題は解消している。

上水道敷設記念碑

自動車道の計画は昭和24年からあった。昭和45年に砂利道が敷設され、舗装道路が完成したのは昭和49年。昭和63年には灯台から浜坂までの海岸道路も開通し、便利になっている。

昔は烽火を上げて安否を確かめ合ったという話を聞いたことがあるが、自分の手で上げたとか実際に見たという話は聞いたことがないという。役場の方から、落人村として知られる畑、御崎、田久日でやってみようかという話が上がっているそうだ。

■ 歴史とともに
各地の平家落人村には同じような伝承が伝わっている。遠い昔のことでもあり、真偽のほどはよくわからないというのが正直なところだ。そのことについての岡辻さんの応えは明快だ。「歴史は信じるものです」。家でも地区でも歴史は大事。信じないことには地区の活性化もないですよと。ブームに乗じて作ったようなものでなく、家々に代々伝わってきたものを真摯に守り伝えている村の誇りがしみじみと伝わってきた。

平内神社にて

(文責:木村)
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