2006年11月例会 但馬の地層と化石 ~但馬は化石がけっこうでます~
テーマ:但馬の地層と化石~但馬は化石がけっこう出ます~
講 師:北但層群化石研究会代表 三木 武行 氏
場 所:豊岡市


【主旨】

今回の例会は、但馬で見かける地層やその中で発見される様々な化石などから、日本列島や但馬の地質学的な成り立ちなどを学ぼうという目的で北但層群化石研究会代表の三木 武行さんを講師に迎えお話をお聞きしました。

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【内容】

古生代の「ぺルム紀」と呼ばれる今から2億5000万年ほど前の時代の地球上の地形は現在の世界地図で見られるものとは大きく異なり、北アメリカ・南アメリカ・アフリカ・ヨーロッパなどの大陸は互いに隣接し合い一つの巨大な大陸を形成していた。その頃、現在の中国大陸のほとんどは水面下にあり、日本列島もごく一部の地域がかろうじて島のように点在していた。この時代の中国大陸では石灰岩が多く堆積し、現在の日本列島でも九州北部から山陰地方にかけて、この時代の地層が広く分布している。古生代の地層からは藻類・シダ植物・三葉虫・魚類・両生類など化石が見つかっている。また、関宮の蛇紋岩はぺルム紀よりもさらに2億年ほど前に、海中での火山爆発により形成されたと考えられる。蛇紋岩はカンラン岩という火成岩が海水に反応して生成することから、当時海面下にあった地層部分で海底爆発の発生をうかがえる。

 現在の日本列島は「プレートテクトニクス」と呼ばれる地殻変動により何千万年もの時間をかけて形成されていった。地表下の地殻部分より下にあるマントルと呼ばれる岩の部分は水のように流動して地表下をゆっくりと流れている。その上にプレートと呼ばれる地殻が乗っている。プレートは何枚にも分かれており、マントルの流れに乗ってプレート同士が重なりあったり、ぶつかりあったりしながら地殻変動をおこしている。中国大陸の一部であった日本列島でも1~2億年前の中生代「白亜紀」・「ジュラ紀」に生息していた裸子植物や恐竜・アンモナイトなどの化石が当時形成された地層から発見されている。丹波地方で発見された恐竜の化石などは、当時の日本列島と大陸とのつながりを裏付けるものである。

その後も、プレートテクトニクスにより世界の地形はゆっくりとその姿を変えて行くのだが、日本列島は哺乳類・鳥類が誕生する数千万年前の新世代には現在の姿に近づいていく。およそ7千万年前に中国大陸の東部では大規模な火山の噴火活動が起こり、このころに形成された地層は花崗岩層を形成した。その分布は現在の山陰地方で広く見られる。火山はやがてカルデラを形成し、巨大な湖へと変化していく。このころの堆積地層からは湖の存在を裏付ける淡水性の化石が見つかっている。また、サイや象やツルといった動物の足跡も香住の海岸周辺で発見されており、湖畔が当時の動物の水飲み場や漁場になっていたと考えられる。

その後の地殻変動により、約1500万年前には巨大な湖の南方から対馬海流が流入して、淡水が海水へ変わっていくことにより日本海は誕生した。そして、当時の日本列島は暖流の影響で熱帯環境であったことが、当時の化石から判る。およそ500万年前には但馬地方での火山活動が活発になり、氷ノ山や玄武洞火山などが噴火したのもこの時代である。現在山陰海岸で見られる流紋岩やデイサイトの地層もこのころに形成されたものである。その後、地殻変動や氷河期が繰り返され、日本列島は現在の形に出来上がっていった。

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【感想】

今回たくさんの化石(標本)も見せていただき、古代生物とその生息環境や但馬の歴史について多くの事を学ぶことが出来ました。改めて、但馬の地層を観察することにより、様々な小さな発見が出来、それらをひとつずつパズルのように組み合わせて行くことで、やがては壮大なスケールの歴史的・地質学的理解へと繋がっていくのだということをこの例会で気付かされました。ふだん特に気に掛けることもない身近にある物を手に取り、それをじっくりと見つめ深く考えることで、意外な新しい発見が実は隠されているのだと。
         
(報告者:上田直樹)

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