2009年11月例会 田道間守命(たじまもりのみこと)と中嶋神社
日時:2009年11月28日(土)
場所:中嶋神社社務所 豊岡市三宅1番地

テーマ:田道間守命(たじまもりのみこと)と中嶋神社

講師: 中嶋神社宮司 大垣 豊隆さん (但馬史研究会会長)

参加者:島垣、中田、岩本か、岩本め、足立、太田、飯尾、衣川、藤原次、中嶋、小川、谷岡、木村、上田、戸田、高石、守山、西躰

(会員外)3名

担当:高石、木村、戸田、衣川(報告者)

講師の大垣豊隆さんは、京都大学、国学院大学、アメリカ留学などでの研究生活、伊勢神宮での執務などを経て、平成4年から中嶋神社の宮司を引き継ぐ。神道はもちろんのこと世界の宗教・文化への造詣も深く、但馬史研究会の会長としても活躍されている。

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■菓祖神 田道間守命(たじまもりのみこと)と中嶋神社の由来
1 鎮座地 兵庫県豊岡市三宅1番地
2 御祭神 田道間守命(たじまもりのみこと)
3 由 緒
 田道間守命は、第11代垂仁天皇の御代、神社鎮座地の附近に居所を定め、農蚕の業を推奨し民生の安定につとめられました。『日本書紀』によると、垂仁天皇の御代に、天皇の命を受けて海を越え、神仙秘境である「常世の国(とこよのくに)」に行って、「非時香菓(ときじくのかぐのみ)」を持ち帰られましたが、その時は、出発して10年目の3月で、天皇は、既に崩御されていました。命(みこと)は、悲しみのあまり、大和(やまと)の西ノ京に近い、「尼ケ辻」につくられました天皇の陵前に「非時香菓」を献じて、
“帝(みかど)の神霊(みたまのふゆ)によって、漸(ようや)く帰って来ることができましたのに、帝はもう此の世におられません。これから生き長らえても、帝のましまさぬ今、何の益がありましょう”
と、生きた人に申すように述べ、号泣して亡くなられました。
 第12代景行天皇は、命の純忠をあわれんで、先帝の陵側に葬られました。これが命のお墓で近年、遙拝所も建設されています。
 お持ち帰られた「非時香菓(ときじくのかぐのみ)」は、『日本書紀』に「今、橘と謂ふは是なり」と記され、「たちばな」は田道間花(たじまばな)のつまりたるものなりと言う説も古くから行われています。「ときじく」は時を択ばずの意で、「かぐのみ」は香り高い果実の意味で柑橘類の一種で、その果実は花も香気高い名木として、紫宸殿の御苑に桜と共に植えられていることは、今も昔と変わりがありません。
 上古では「果」と「菓」の区別はなく、果実をはじめ間食用の物を菓子と言っていたが、「橘」は菓子の最上品として珍重されました。
 そこで、菓子の最上品「橘」を遙か遠い地より将来されました田道間守命を菓子の祖神、「菓祖神」として崇敬するに至ったのであります。
4 沿 革
 ・第33代推古天皇の御代に田道間守命の七世の孫にあたる三宅の吉士、中嶋の公が、祖先の田道間守命をこの地に祀ったのに由来
 ・社名は田道間守命の墳墓が垂仁天皇陵の堀の中に浮かぶ小さな島にあることに由来
 ・平安時代の延喜式神名帳に登録
 ・本殿は二間社流れ造という類例の少ない様式を持ち、色彩を施し、細部の絵様彫刻の精妙、複雑である点、室町時代中期の特長を示す
 ・本殿は国指定重要文化財(建造物)
 ・全国菓子工業組合の主催によって、ほぼ4年に一度の、全国菓子大博覧会が開催され、この菓祖神を祀り博覧会の成功と菓子業界の繁栄を祈願
 ・昭和44年境内を拡張、45年には田道間守命千九百年祭を開催
 ・昭和49年本殿屋根葦替と塗装、54年大鳥居並び参道を建設
 ・平成11年大鳥居塗替、17年本殿屋根の部分補修
 ・平成21年本殿屋根葦替と塗装
5 祭 日
 四月第三日曜日 橘菓祭(菓子祭)


■延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)とは
 延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」とされていた全国の神社一覧である。延喜式神名帳に記載された神社を、「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜式内社、または式内社(しきないしゃ)、式社(しきしゃ)といい、一種の社格となっている。延喜式神名帳に記載された神社(式内社)は全国で2861社であり、そこに鎮座する神の数は3132座である。(『ウィキペディア』より)
 地域別の式内社数
 1 大和 286
 2 伊勢 253
 3 出雲 187
 4 近江 165
 5 但馬 131
 6 越前 126

但馬は5位に入る式内社の多い地域である。しかし、なぜ多いのか、その理由は明確ではない。
中嶋神社ももちろん式内社のひとつであり、平安時代には存在し、朝廷から官社として認識されていた神社である。



■質疑応答のまとめ
・大垣さんは伊勢神宮に28年おられ、神職として16年、一般事務として12年、28年通じて海外からのお客様の対応に当たられていた。イギリス女王・エリザベス2世が来日され伊勢神宮を訪問されたときにも同行された。伊勢神宮での日々は普通の生活からすれば特殊な世界で、朝起きて清めの風呂に入ることから始まり、お籠もりするときは肉などは食べなかったとか。
・外国から来られたお客様への説明役を担当されての感想
  日本の神は万神・多神教である。単一教とはかなり違う。
  総体的にアジアの人はわかりやすく、イスラムの人はわかりにくい感じがした。
  アメリカは信仰の自由が浸透しており、宗教に関して練られて大人である。
  宗教など関わりなく、理屈なしにここは聖地だとわかる人が多かった。
・27、28歳ころに世界一周旅行をされ、日本文化を考える上で大変役に立っている。
・日本では山、森、滝、水なども神聖な場所。日本には神聖な聖地がたくさんある。それは大切なことだと思う。聖地を感じる、パワーを感じる、受取人がしっかりしていれることが大事なことだと思う。

(報告者:衣川)


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コメント
私の一昨年前に亡くなった母が 私の幼少期より自身の生い立ちと先祖の関係性について叩き込まれていて 今こそ名乗り出る必要を感じ、此処に申し上げます。

我が母 故 岩本春子(しゅんこ)、旧姓 高橋春子は 田道間守の直系の出であると宣言申し上げます。

奈良県吉野村←途中三重県に編成された と聞き及んでおりますが、そこで お祖父様より 御歌と伝承を教わり 家紋の由来と江戸時代の位、更に昭和の中盤に石碑の除幕式に参列せよ との仰せに不可の旨 返信していたのを見ておりました。因みに家紋は 太丸に橘です。江戸時代は 高橋伊予守但馬守で、母は伊予土居からの養女で乳母、総檜の御殿付きで高橋家に来たーと申しておりました。岩本家の長男として生まれた私ですが、昔を偲んでか命名から間もなく象牙に金 銀
| 岩本裕二 | EMAIL | URL | 13/01/03 13:42 | nBxQdCZw |
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