2010年5月例会 『ただのコンクリート橋とちゃう!~土木技術者の意気「新余部橋梁架替工事物語」~』
開催日  2010年5月22日(土)
開催市町 香美町
テーマ  「ただのコンクリート橋とちゃう!~土木技術者の意気「新余部橋梁架替工事物語」~」
講師   山陰線鎧・餘部間余部橋りょう改築他工事特定建設工事共同企業体
     (清水建設・錢高組JV)
     現場代理人 中原俊之さん
場所   余部鉄橋
参加者  
担当   


○余部鉄橋(余部橋梁)について
橋の長さ:310メートル
高さ:41.5メートル
着工:明治42年12月
竣工:明治45年1月
築100年。当時、東洋一の鉄橋であった。
材料は、アメリカから3ヶ月かけて船で搬送された。現在のように出来合いの硬性の材料もヘルメットもない中、丸太を組み足場に用い、延べ25万人の方々が従事された。
鉄橋の精度は、すばらしく、昭和に入り補強工事が行われたものの、橋脚は当時のまま、その橋脚に横向きに走る柱(通り)は100年経った今も寸分の狂いもなくまっすぐ通っていることである。
しかし、そんな鉄橋も潮風の影響を受け、特に、東側(京都側)は半面が海に面しているため、塩害による腐食が激しい。
○列車転落事故
昭和61年12月28日
その日は、列車が落ちた音も聞こえない程の強風が吹いていたらしい。香住駅で乗客を降ろした回送列車は、トンネルを出てすぐ強風に煽られ転落。鉄橋の真下には、蟹の水産加工工場があり、そこで働く従業員5名と車掌1名の合計6名の方が亡くなられた。工場跡地には、慰霊の観音像が建てられている。以後、風速25メートルで運休とする規制が風速20メートルと厳しくなった。
そのため、今も年間で100本の列車が運休・遅延の影響を受けている。
○餘部駅
 開通当初、餘部には駅が無かった。地元の人々は、山を登り列車の合間を縫って、線路を歩いて鉄橋を渡り、トンネルを抜け、隣の鎧(よろい)駅を利用するしかなかった。国鉄に働きかけたり、地元の小学生が兵庫県知事に手紙を書くなど働きかけ、昭和34年、ようやく駅が完成し、鉄橋の恩恵にあやかれたのである。その間、約50年。
 駅を待ち望んでいた住民は、村中が総出で駅の基礎工事に役立てようと浜から丸石を集めて駅まで運んだ。初めて駅に列車が到着した際は、住民大勢が駅で出迎えたらしい。
昨年春、開設50周年祭が執り行われた。
○余部鉄橋対策協議会
 列車転落事故を機に、設けられた。築100年の塩害による腐食。運休・遅延をせざるを得ない列車が相次ぐ。駅まで列車が来てもそこから動かない。動かせない。
 その状況を打破するため、防風が可能な新橋梁が必要となり “橋梁架け替え工事”に至る。
○ただのコンクリート橋とちゃう! その①ただの橋梁架替工事ちゃう!
 鉄橋と同じ高さで南側7メートルの位置に平行に建設中。西側は隣の駅までに山側を削り、路線を一致させる。東側トンネル口への接続は3,800トンのS字型橋桁を移動し完成させる。橋桁の平行移動はよくあることだが、この橋桁移動はちゃう!。S字型(R=300)を4メートル平行移動させ、橋脚を軸に約5°回転させる。回転軸となる橋脚には3300トン、先端部には500トンの重量がかかる。つまり、重心が中央ではない超不安定な移動で国内に例は無い。
 H22.7.17~H22.8.11まで運休にし、鉄橋を撤去し、その最も難しい「橋桁移動旋回工法」が行われ、H22.8.12~“新”余部橋梁がスタートする。
○ただのコンクリート橋とちゃう! その②コンクリートがちゃう!
 プレストレストコンクリート。列車が通るということはトラックとは比較にならない荷重が橋桁にかかる。通常のコンクリートは、圧縮力には強いが引っ張られる力には弱い。橋の上を列車が通り荷重がかかれば、重みでコンクリートの底辺(下部)にひび割れが生じる。
 それを防ぐため、コンクリートの中にスパイラル管を通し、その中にメタル鋼線を入れて、ジャッキで引っ張り上げ、固定する。鋼線が縮もうとする力を利用している。
 さらにセメントは、鋼材を入れることができないため、ペットボトルを細かく砕いたものを混ぜ、塩害に強く、低発熱のひび割れしにくいものを使用している。
○ただのコンクリート橋とちゃう! その③橋桁・防風壁がちゃう!
 橋桁の高さ3.5メートル。幅7.5メートル。中は空洞になっており、将来、修理点検に人が入れるようになっている。高速道路などの橋桁は橋脚に近づくに連れ、下向きに高くなっているものが多いが、高さを統一するためにケーブルを外に出している。
 防風壁は、透明のアクリル板。下から橋梁を見上げた際、全てがコンクリート壁だと威圧感が強い。また、乗客も景観を楽しめるようにデザインされた。
○ただのコンクリート橋とちゃう! その④土木技術者の意気込みがちゃう!(中原さん)
 100年経っても狂っていない鉄橋はやっぱり凄い。土木遺産。11本の橋脚のうち西側の3つの橋脚とそこまでの橋桁(鉄橋)が残され『空の駅』となる。記念館や道の駅などの建設も検討がなされている。
 【100年後の土木遺産】を目指して、また、新・旧両方の橋が見れるここが新名所となればいいなと思い仕事をしている。

●担当者感想●
100年前の技術に驚かされ「凄い!」っと思って聞いていましたが、新橋の工事で3,800トンという想像もつかないような重さのコンクリートの塊を移動させ旋回させるなんて・・・驚愕。
 実際に新橋の上を歩いて見ると、41.5メートルは思っている以上に高い。この大きな塊をこんなに高いところで移動・旋回させる。しかも、下は道路。カケラ一つ落とすわけにはいかない緊張感。
 これは、どこにでもあるコンクリート橋とちゃう。本当にちゃう!!。

○但馬学研究会2003年11月例会で「余部鉄橋秘話」と題して余部鉄橋を取り上げています。ホームページに例会報告がありますのでご参照ください。


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