2006年2月例会 「山郷の水利」 ~ 大屋川に育まれた生活文化
開催月日 : 2月25日(土)
開催市町 : 養父市大屋町
テーマ   : 「山郷の水利 ─ 大屋川に育まれた生活文化」
講 師   : 小畑 佐夫氏さん
場 所   : (現地見学)大屋町栗の下・大屋町筏
         (お話)   農村公園「翡翠」
参加者   : 島垣、友田、浜野、中嶋、中尾、能登、衣川、戸田、粂井
         木村、高石、中田、峠、成田、細見、太田、西躰
担 当   : 島垣

 

暮らしの中の水といえば、私たちの多くは蛇口から流れる水を思い浮かべる。でもそれは、水道が普及してからのことだ。では少し昔までどうだったのか、その面影を探して大屋川上流の集落を歩いた。栗の下集落では、地元の区長を務める小畑佐夫さんに案内していただいた。

■栗の下編  若杉川・横行川合流の地の利を生かす
兵庫県一高い山、氷ノ山を源にして流れる横行川、そして、藤無山を源にして流れる若杉川、両方の川の交わる所に、栗の下集落がある。
 集落は、川面から5メートルほど高い位置にあるために、集落内を縦横無尽に流れる水路は、それぞれの川の上流500メートルくらいに、井堰を設けて流入されている。
 水路を豊富な水が流れる。各戸の水辺には「かわと」「かわいと」があり洗い物などに現在も利用されている。池の水も引く。また防火用水として生活の安全を守る。
かつて水路は、日々の生活に欠かせなかった。早朝、まず水路の水を汲んで飲料水を水甕に蓄える、そして、顔を洗う、歯を磨く、うがいをする。使用した水は下流には流さない。食事の用意では、米を研ぐ、研ぎ汁は池または畑の野菜や庭の植木に利用する。野菜ものを洗う。里芋の皮むきには水車(芋水車。六角形の箱に芯棒を通した物)が利用される。洗濯から、何を洗うにも利用されていた。もちろん、風呂水は川の水を汲んで沸かしていた。 
 池には、鯉や、ヤマメなどがいて、鍋やお櫃など漬けて置くと、綺麗に食べてくれる。
 冬には、雪の捨て場所として利用されて、夏は打ち水をし、下流域の田畑を潤す。 
 こんな田舎の原風景が色濃く存在している地区、栗の下。 
養豚、養鶏が盛んになって水が汚れ、困った時期もあったが、そのころには簡易水道が出来ていたので飲料水としては問題がなかった。その後上下水道が完備され、水路の水を日々の暮らしで利用することは少なくなった。若い人は水離れ。ひねるとすぐ出る水とお湯。年老いた人は「もったない、節約、節約」。今も続く月に2回の川掃除には、1戸から必ず一人以上の参加があると聞く。
 この地区に、屋号が「清水屋」と呼ばれている家があり、裏山から清水が池に引かれている。その下の家は最近まで豆腐屋を営み、おいしいと評判の豆腐と揚げが売られていた。きっと水が良かったからだろう。
 集落を縫ってたっぷりの水が流れる水路、しぶき、水音、悠然と泳ぐ鯉。本流にも何箇所か川いとが残る。いつまでもこのままの風景であってほしいと思ったのは、私だけではないだろう。

 

■筏編  雪との闘い「融雪設備」
 村中を流れていた用水路を、道路幅を広げるために暗渠にすることになった。しかし、冬期の積雪が多く、その上日当たりも悪いので、排雪は必要不可欠であった。そこで考えたのが「暗渠排水融雪設備」である。10メートルくらいに1箇所、蓋(グレーチング)を設けてそこに雪を捨てて流す。それだけでは雪は水を含んで塊になり水路をふさいでしまう。そのためこの水路にはもう一つ工夫が凝らされている。水路の両サイドに、ステンレス製の穴明き板が取り付けられている。水路の壁とステンレスとの10センチの隙間を何の抵抗もなく流れる水によって雪は融けて流れていく。 
 地域の人たちは、近くで同時刻に排雪ができる上、高齢者でも楽に作業が可能となった。なかには、雪を運ぶ台車にも工夫を凝らす人もいる。たくさん積みこめ、滑りやすく、また水路蓋の幅(50センチ)に合わせて作られている。

 
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