1月例会案内
■□ 但馬学研究会 2010年度~2011年度 1月例会案内 □■ 

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日高町から出た木簡 ~木簡から但馬の古代史を紐解く~  
 
平成20年5月、日高町祢布で200点を超える木簡が出土し、全国的な注目を集めました。
考古学の出土品には文字を含んだものが少なく、文字を記した木簡は当時の歴史を知るための貴重な資料です。
但馬では、昭和52年に日高町で初めて木簡が発見されたのですが、それまで地方では木簡は出土しないというのが常識だったそうです。
その第一発見者が講師の加賀見館長で、発見時のエピソードなども交え、木簡の持つ意義や但馬国府や国分寺など但馬の歴史について話を伺います。
また、木簡はとても脆弱で保管が難しく、遮光や温湿度管理が大切です。但馬でこのような施設を持つのは但馬国府・国分寺館と朝来市埋蔵文化財センター(木簡は収蔵していない)しかありません。そこで保管されている木簡の実物を見学できるというのは実に貴重な体験であると思います。

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日時:平成23年1月22日(土)

場所:但馬国府・国分寺館(兵庫県豊岡市日高町祢布808)TEL 0796-42-6111

講師:加賀見 省一(かがみ しょういち)氏
   但馬国府・国分寺館館長                 

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★スケジュール
  12:00 集合・食事(石立屋 TEL 0796-42-0253)
      石立屋は日高健康福祉センターの西側にあります。
      駐車場が狭いため、予め但馬国府・国分寺館に駐車しておいてください。
      (徒歩2分程度です)

  13:00 但馬国府・国分寺館へ移動

  13:00 展示品見学(会員分の入館料は会費より出ます)

  13:30 お話を聞く(映像ホール)

  15:00 質疑応答(総合学習室)

  15:30 会員トーク(総合学習室)

       閉会
   
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★参加締切り 1月20日(木)                       

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11月例会の案内
■□ 但馬学研究会 2010~2011年度 11月例会案内 □■

──────────◇◆ テーマ ◇◆──────────────────

奈佐節と奈佐魂

~ 里の文化伝承 ~

奈佐谷は、豊かな自然・緑と清流の里として、古くから史実にその名を残し、
多くの文化を伝承し、心(奈佐魂)を育んできました。歴史や昔話、そば、
コウノトリと心(奈佐魂)のお話をしていただきます。

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日時: 平成22年11月27日(土)12:00~

場所: なさそば(兵庫県豊岡市辻538  tel 0796-23-7122)

講師: 小山六良兵衛(こやまろくろべえ)氏 (奈佐地区公民館長)
    奈佐公民館 tel 0796-23-3747 

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〔スケジュール〕

12:00 集合・昼食  なさそば
    新そばを味わってください

12:50 会場へ移動  奈佐地区公民館(兵庫県豊岡市593-5)
    tel 0796-23-3747 

13:00 ビデオ鑑賞  

13:30 お話・質疑   

15:00 会員トーク

16:00 終了

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★参加締切り 11月25日(木) 

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但馬学研究会 2010~2011年度 9月例会報告 竹田城を見直す~羽柴秀長の但馬侵攻 ~
□ 但馬学研究会 2010~2011年度 9月例会報告

──────────◇◆ テーマ ◇◆───────────

竹田城を見直す~羽柴秀長の但馬侵攻 ~

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日時: 平成22年9月25日(土)12:00~
場所: 山城の郷(朝来市和田山町殿新井土13-1)
講師:足立裕(あだちゆたか)氏 (但馬史研究会会長)
朝来市和田山町竹田417 079-674-2751
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はじめに
「竹田城を見直す」というタイトルで約1時間半、足立先生のお話を伺った。
冒頭に但馬史は中央史と密接な関係があることを、森尾古墳、池田古墳、応仁の乱、生野の変などの事例をもとに話された。
全体を通じて感じた事は、竹田城の歴史を再認識する事は、但馬の歴史を再認識することにもつながるということであった。
以下は先生のお話を、提供して頂いた資料をもとに、その内容をまとめたものである。

竹田城興亡史
竹田城は353メートルの山頂に築かれた山城で(虎臥城)とも言われる。
太田垣氏 7代 130年余
羽柴秀長    3年
桑山重晴    5年
赤松廣英     15年
地元には室町時代の1443年に山名宗全が13年かけて築城したという言い伝え(口碑)が残っている。最近の研究では、この時代には総石垣で天守をもち縄張りのこれほど整った城はなく、今見る竹田城は織豊時代の山城としての最終形態のものであるとみられている。

太田垣氏の時代
山名氏の四天王といわれた太田垣氏の居城となる。嘉吉3年、1443年の築城(口碑)であるならば、その2年前には嘉吉の乱があり、播磨の赤松満祐が将軍足利義教を殺害し、領国播磨に帰り立てこもった。細川、山名軍は、この討伐に向かい、満祐は城山で自刃した。山名軍は但馬から生野峠を超えて播磨に入ったが、完成間近の竹田城は、その事件にかかわりをもっている。その後、赤松復興にからみ、生野峠付近で赤松軍と山名軍は何回か交戦している。

羽柴秀長の時代
天正5年10月、羽柴秀長は生野銀山、朝来郡、養父郡を攻略。今までは(信長公記)天正5年10月28日が基礎となり、羽柴秀吉の侵攻となっていたが、この時は秀吉は西播の上月城(赤松政範)を攻めていて、三日月に布陣しており、但馬には入っていない。前野家文書には、その時、加古川で行われた軍議のなかで、秀長の但馬進攻の状況が記録されている。(後述参照)

桑山重晴の時代
天正8年桑山重晴竹田城主となる。
天正13年桑山重晴和歌山に転封。桑山氏については「藩翰譜」(新井白石)によっているが、竹田地区には具体的な史料はほとんどない。重晴は、各地の城攻めに参加していて、竹田城にはほとんど在城していなかったと思われる。重晴の子供の過去帳、五輪塔が竹田に残っている。

赤松廣通(廣英)の時代
天正5年10月羽柴秀長が南但馬を攻めた時従軍していた。その後、秀長について各地の城攻めに参加していた。
天正13年竹田城主となる。朝鮮出兵、慶長の役、慶長5年(1600年)9月関ヶ原の戦には、西軍として丹後の田辺城(細川藤孝、幽斉)を攻める。(但馬の大名も田辺城攻めに参加)
慶長5年10月亀井茲矩からの要請を受けて、鳥取城宮部善祥房を攻め、その時の兵火が城下に移り、多くの民家を焼く。その責により慶長5年10月28日、鳥取真教寺で切腹、竹田城廃城となる。

竹田城の落城前後
吉田家(前野家)文書、昭和34年(1959年)9月26日伊勢湾台風の時、愛知県江南市吉田家(前野家)から発見された文書には、秀長が但馬攻めした時のことが詳述されている。
関係部分を抜粋して次に書く。

「但州竹田城主太田垣土佐守高所ニ城ヲ築キ立向イ候。御大将羽柴小市郎殿人馬之息不休逃集之一揆輩悉く切崩し追討在在火ヲ放竹田之城寄懸候処高山険祖ニ拠岩石投ゲ落シ手向イ候。寄手之面々不為物山谷打越諸手ヨリ鉄砲三百挺筒先相揃ヘ討入申候得バ遂不叶向降参城明退渡候也(以下略)」

羽柴秀長の南但馬侵攻
播州国府に集結天正5年10月30日(現行歴12月19日)赤松廣秀の合力総勢約4,000人生野峠より但馬に侵入。
岩州城攻め  11月1日(12月20日)―両日を待たず
竹田城攻め 11月2日(12月21日)
太田垣輝延 11月3日(12月22日)
11月2日(12月21日)「両3日」
11月3日(12月22日)
11月4日(12月23日) 


但馬の動向 天正5、6年
天正6年1月、羽柴秀長竹田城で越年。
前野長康岩州城で越年。生野銀山の採掘。
各武将それぞれ但馬で年を越し、占領地を固める。

羽柴秀吉(天正6年7月)
竹中半兵衛を伴って竹田城に来る。約1ヶ月滞在する。

藤堂高虎(天正6年12月)
前野九郎兵衛、丹羽寛左衛門等、鉄砲50丁、玉薬5駄分、竹田城に運び込む。

羽柴秀長の北但馬侵攻
天正8年4月、羽柴秀長北但馬を攻める。総大将羽柴秀長、先陣宮部善祥坊、前野長康、加藤作内、青木勘兵衛、藤堂与右衛門、堀尾茂助、山内猪右衛門ら総勢6,400有余人。出石、有子山城は一戦も交えず明け渡す。

竹田城周辺あれこれ
・羽柴秀吉は播州の国がほしかったのだが、戦争をして得るのでなく調略によって得たいと考えた。その調略役を命じられたのが黒田官兵衛であり、大いに貢献した。(注)調略とは戦争はせず、話し合いによって解決する事。仮に1万人の軍勢がいたとすれば、1人につき1日5合の米を食すとしても、1日に125俵(7.500kg)が必要となる。戦争をして多くの人、馬等の命を落とす事を考えるならば、もっとも平和的な戦法だと考えられる。
・羽柴秀吉や秀長の戦の勝因は鉄砲があったからだ。
生野銀山は大切な山である。そのため銀山で働いている人は殺してはならぬと命じている。(秀吉の御諚)
その後秀吉は天正5年に織田信長の安土城に生野の銀350貫目(約1300kg)贈った。信長は大いに喜んだ。
生野には堺の商人が入っていて、茶人津田宗及と云っているが、実は武将であったのではないかとも云われた。他にも千利休クラス(政治に通じている人物)がいたようだ。
・生野には個人蔵ではあるが雪舟(室町後期の水墨画の僧)の三幅対があると云われている。その画が国立美術館から修復の際に借用させて欲しいとの申し出がある。その他、池大雅や、平野国臣などの出入りもある。
・竹田城は400年の石垣に苔(ヒヨリゴケ)や蔦(チョウジュヅタ)が生えていたが、町教委が除草剤を散布して、ダメにしてしまった。


質疑応答
(Q)当時武士はどのように暮らしていたのか。
(A)その頃は平農分離ではなかったので、平時は武士も百姓等をしていた。

(Q)竹田城攻め当日は雪が降っていたと考えるが、降っていたか。
(A)その日は降っていなかった。(11月25日は降っていた。)

(Q)私たち但馬学研究会で今後地域史では何を学べばよいか。
(A)古墳地代、特に出石、但東、和田山を主に(50mクラスも各地に多くある)、古代の山陰道も調べてみられたらこれも面白い。

(Q)江原近くにも城があって、攻めを受けた。しかし口碑では、秀吉が攻めたと云っているが、それは秀長であったのか。
(A)その通り。

(Q)竹田城といえども3,000人の武士は生活できないと思われるが、他の人はどこで生活していたのか。
(A)城近くの土地で生活していた。その地も今は払い下げを受け、個人所有となっている。


時間的制約があり、質疑応答は短時間しか取れなかった。閉会後、メンバーからは、講師が竹田城の地元の人なので、城をめぐる伝承や生活のしきたりなど、現在にも生きている事柄なども教えて欲しかった、との声もあったことを付記しておく。
(報告者:飯尾、校正:峠)

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9月例会のご案内
テーマ
「竹田城を見直す」

内 容
竹田城は雲海を撮影する名所として有名ですが、最近では、石垣造りの山城として天下の名城の一つに数えられ全国的に知られるようになり、遠方からの見学者が増えてきました。
講師の足立裕さんは、地元(和田山町竹田)在住の歴史研究者として長年活動されています。
羽柴秀長の但馬侵攻以後の歴史に触れるとともに、城郭・城跡研究の視点でも竹田城について熱く詳しく語っていただきます。
私たちがより身近に竹田城を知ることが出来るとともに、但馬の歴史にも更に関心が深まるものと期待しています。

例会終了後、希望者は竹田城を訪れると良いでしょう。
更に味わい深くなると思われます。(山城の郷から近いです)

講 師
足立 裕氏 (但馬史研究会会長)

日 時
2010年9月25日(土)12:00~16:00

場 所
山城の郷(竹田城ふもと) 朝来市和田山町殿新井土13-1
 電話:079-670-6518

スケジュール
12:00 集合・昼食:山城の郷
13:00 講義開始
16:00 閉会

参加申込
9月22日(水)中にe-mailでご連絡下さい。
参加費は、1,000円+昼食代(実費)です。

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8月例会のご案内
■テーマ
「日本の民俗文化から見た但馬の民俗文化の特色」
-特に、風流太鼓踊りと温泉湯治を中心にして-

■内 容
大森恵子先生は但馬出身の民俗学研究者で、但馬の年中行事や民俗芸能、宗教民俗などについても詳しく調査・研究されています。
民俗学の切り口から、但馬学の今後の方向性や課題を考えていくための指針を得ることがができるものと期待しています。

また、当日の会員トークでは、22年度の例会運営方針と20周年事業についても話し合います。
例会報告作成やホームページ充実などの課題についても相談する予定です。

■講 師
大森恵子先生(京都明徳高校)

■日 時
2010年8月28日(土)12:00~16:00

■場 所
但馬長寿の郷 和室(昼食も)

■スケジュール
12:00 集合・昼食:但馬長寿の郷
13:00 講義開始
16:00 閉会

■参加申込
8月25日(水)中にe-mailでご連絡下さい。
参加費は、1,000円+昼食代(実費)です。

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