2012,12,04, Tuesday
日時:2012年11月24日(土) 12:00〜16:00
場所:[昼食]平家の里(平家そば)香美町香住区余部2980
[例会]香美町香住区御崎 御崎公会堂
講師:岡辻増雄さん(御崎地区語り部)
■語り部
講師の岡辻さんは大正14年生まれの88歳。子どものころから歴史が好きで、おじいさんの語ってくれる昔話を何度も聞いて育った。それが頭に残り、求められて話をするようになり、今ではそれが生きがいとなっているという。耳が少し遠い、声にも張りがないとおっしゃりながら、背筋をピンと伸ばし、筋道立ててわかりやすくお話してくださった。
今回資料に使わせていただいた小冊子『御崎 平家村のおはなし』も岡辻さんのお話をベースに作られたものだ。
■平家落人の里
1185年、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の武将が散り散りに落ち延びた。そのうち、門脇宰相平教盛、伊賀平内左衛門家長、矢引六郎右衛門の乗った小舟が季節風によって西へ流され、伊笹岬の突端を曲がったあたりで山中に煙が上がっているのを見つけてたどり着いたのが、当時修行の場であった美伊神社である。そこで出会った森本浄実坊という荒野聖に諭され、この地に落ち着くことになった。三氏は当初、別々に分かれて住み、折に触れて集まっていたが、400年ほど経ったころ「源氏の追手が来ることももうないだろう」との判断で集まって住むことになり、今の御崎村が形成されたという。詳しい内容は上記小冊子を参照されたい。
■ 平家蕪(かぶら)
昼食に出されたお漬け物は平家蕪。この地に古くから自生している蕪で、森林を切り開いたところにも自然に生えてくる。農業試験場が持ち帰って栽培を試みたこともあったが同じものはできなかった。漬け物の商品化も試みたが、今でも山に入って採ってくる必要があるため量産できず、訪れたお客さんに提供する程度しか作られていないそうだ。岡辻さんの長男のお嫁さんが切り盛りされている蕎麦処「平家の里」でいただくことができる。
■ 百手(ももて)の儀式
毎年1月28日に行われる「百手」の儀式。平家の再興を祈念して、源氏に見立てた的に向けて101本の矢を射る行事である。地区の平内神社で行われるが、岡辻さんによると神事ではなくあくまでも「訓練」であるとのこと。「百手」という名前には「何回も繰り返して矢を射る」という意味があるそうだ。各地の平家村にも同じような行事が伝わっており、本数も様々だが、御崎の場合は、打ち初め(1本)+33本×3家(門脇・伊賀・矢引)+打ち終い(1本)で合計101本となっている。源氏がどうのという思いは今となってはまったくないが、これで負けん気が養われたのは確かだという。ちなみに、儀式の際などに使われる旗には揚羽蝶の紋が描かれているが、3家のうちの伊賀家の家紋を村の紋として使用しているという。
■ 近年の暮らし
現在、御崎地区には16世帯、約70人が住んでいる。昭和20年頃は48戸あったが、次第に減り、昭和35年頃までに35、6戸に。その後一気に24、5戸まで減ったが、近年の減少は緩やかである。現在住んでいる人は一度村を出て帰ってきた人も多く、そういった人は村に誇りを持っている。若いお嫁さんが意外と多い。御崎の子供は、小学校3年生まで余部小学校の御崎分校に通い、4年生からは本校に通う。現在の分校の児童数は小1、小2がひとりずつ。来年は各学年1人ずつになる予定だ。
村の大きな収入源になっているのは山椒の葉。山で自生している山椒を採って個人で出荷していたが、現在は苗を育てて栽培し、農協を通じてまとめて出荷している。岡辻さんはハウス栽培の先駆けでもある。ハウスで栽培すると10日早く出荷できる。トゲがあるので収穫が大変だが、少量で高い値が付くという。村全体で7、8haほど栽培している。例会後、案内していただいた平内神社への参道脇にも山椒が栽培されていた。
漁業は、2ヵ所(御崎と鎧)に定置網を設置しているが、近年は収入が減っている。観光客もそれほど来ない。
昔から水が貴重な地区で、火事は大きな被害になっていた。昭和11年に上水道が敷設され、今ではその問題は解消している。
自動車道の計画は昭和24年からあった。昭和45年に砂利道が敷設され、舗装道路が完成したのは昭和49年。昭和63年には灯台から浜坂までの海岸道路も開通し、便利になっている。
昔は烽火を上げて安否を確かめ合ったという話を聞いたことがあるが、自分の手で上げたとか実際に見たという話は聞いたことがないという。役場の方から、落人村として知られる畑、御崎、田久日でやってみようかという話が上がっているそうだ。
■ 歴史とともに
各地の平家落人村には同じような伝承が伝わっている。遠い昔のことでもあり、真偽のほどはよくわからないというのが正直なところだ。そのことについての岡辻さんの応えは明快だ。「歴史は信じるものです」。家でも地区でも歴史は大事。信じないことには地区の活性化もないですよと。ブームに乗じて作ったようなものでなく、家々に代々伝わってきたものを真摯に守り伝えている村の誇りがしみじみと伝わってきた。
(文責:木村)
場所:[昼食]平家の里(平家そば)香美町香住区余部2980
[例会]香美町香住区御崎 御崎公会堂
講師:岡辻増雄さん(御崎地区語り部)
■語り部
講師の岡辻さんは大正14年生まれの88歳。子どものころから歴史が好きで、おじいさんの語ってくれる昔話を何度も聞いて育った。それが頭に残り、求められて話をするようになり、今ではそれが生きがいとなっているという。耳が少し遠い、声にも張りがないとおっしゃりながら、背筋をピンと伸ばし、筋道立ててわかりやすくお話してくださった。
今回資料に使わせていただいた小冊子『御崎 平家村のおはなし』も岡辻さんのお話をベースに作られたものだ。
■平家落人の里
1185年、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の武将が散り散りに落ち延びた。そのうち、門脇宰相平教盛、伊賀平内左衛門家長、矢引六郎右衛門の乗った小舟が季節風によって西へ流され、伊笹岬の突端を曲がったあたりで山中に煙が上がっているのを見つけてたどり着いたのが、当時修行の場であった美伊神社である。そこで出会った森本浄実坊という荒野聖に諭され、この地に落ち着くことになった。三氏は当初、別々に分かれて住み、折に触れて集まっていたが、400年ほど経ったころ「源氏の追手が来ることももうないだろう」との判断で集まって住むことになり、今の御崎村が形成されたという。詳しい内容は上記小冊子を参照されたい。
■ 平家蕪(かぶら)
昼食に出されたお漬け物は平家蕪。この地に古くから自生している蕪で、森林を切り開いたところにも自然に生えてくる。農業試験場が持ち帰って栽培を試みたこともあったが同じものはできなかった。漬け物の商品化も試みたが、今でも山に入って採ってくる必要があるため量産できず、訪れたお客さんに提供する程度しか作られていないそうだ。岡辻さんの長男のお嫁さんが切り盛りされている蕎麦処「平家の里」でいただくことができる。
■ 百手(ももて)の儀式
毎年1月28日に行われる「百手」の儀式。平家の再興を祈念して、源氏に見立てた的に向けて101本の矢を射る行事である。地区の平内神社で行われるが、岡辻さんによると神事ではなくあくまでも「訓練」であるとのこと。「百手」という名前には「何回も繰り返して矢を射る」という意味があるそうだ。各地の平家村にも同じような行事が伝わっており、本数も様々だが、御崎の場合は、打ち初め(1本)+33本×3家(門脇・伊賀・矢引)+打ち終い(1本)で合計101本となっている。源氏がどうのという思いは今となってはまったくないが、これで負けん気が養われたのは確かだという。ちなみに、儀式の際などに使われる旗には揚羽蝶の紋が描かれているが、3家のうちの伊賀家の家紋を村の紋として使用しているという。
■ 近年の暮らし
現在、御崎地区には16世帯、約70人が住んでいる。昭和20年頃は48戸あったが、次第に減り、昭和35年頃までに35、6戸に。その後一気に24、5戸まで減ったが、近年の減少は緩やかである。現在住んでいる人は一度村を出て帰ってきた人も多く、そういった人は村に誇りを持っている。若いお嫁さんが意外と多い。御崎の子供は、小学校3年生まで余部小学校の御崎分校に通い、4年生からは本校に通う。現在の分校の児童数は小1、小2がひとりずつ。来年は各学年1人ずつになる予定だ。
村の大きな収入源になっているのは山椒の葉。山で自生している山椒を採って個人で出荷していたが、現在は苗を育てて栽培し、農協を通じてまとめて出荷している。岡辻さんはハウス栽培の先駆けでもある。ハウスで栽培すると10日早く出荷できる。トゲがあるので収穫が大変だが、少量で高い値が付くという。村全体で7、8haほど栽培している。例会後、案内していただいた平内神社への参道脇にも山椒が栽培されていた。
漁業は、2ヵ所(御崎と鎧)に定置網を設置しているが、近年は収入が減っている。観光客もそれほど来ない。
昔から水が貴重な地区で、火事は大きな被害になっていた。昭和11年に上水道が敷設され、今ではその問題は解消している。
自動車道の計画は昭和24年からあった。昭和45年に砂利道が敷設され、舗装道路が完成したのは昭和49年。昭和63年には灯台から浜坂までの海岸道路も開通し、便利になっている。
昔は烽火を上げて安否を確かめ合ったという話を聞いたことがあるが、自分の手で上げたとか実際に見たという話は聞いたことがないという。役場の方から、落人村として知られる畑、御崎、田久日でやってみようかという話が上がっているそうだ。
■ 歴史とともに
各地の平家落人村には同じような伝承が伝わっている。遠い昔のことでもあり、真偽のほどはよくわからないというのが正直なところだ。そのことについての岡辻さんの応えは明快だ。「歴史は信じるものです」。家でも地区でも歴史は大事。信じないことには地区の活性化もないですよと。ブームに乗じて作ったようなものでなく、家々に代々伝わってきたものを真摯に守り伝えている村の誇りがしみじみと伝わってきた。
(文責:木村)
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2012,04,10, Tuesday
テーマ ◆出石鉄道よもやま話◆
短命に終わった悲運の出石鉄道を中心に、但馬・北近畿の鉄道の歴史を紐解きます。鉄道や近代化遺産について、ミクロからマクロ、技術から社会背景まで広く深く調査・研究されている永井さんを講師にお招きし、今に残る数少ない遺構もいくつかご案内いただきます。硬軟自在の多彩な視点から繰り広げられる「永井ワールド・鉄道編」をお楽しみください。
講 師 永井英司さん(郷土史家/森林インストラクター)
日 時 2012年4月28日(土)12時~16時
場 所
集合(昼食): レストラン鳥居の里 (出石町鳥居 やすらぎ農園内 ℡ 0796-52-5553)
例会 : 暮らしの学校 の~ら (出石町鳥居785 ℡ 0796-20-1295)
スケジュール
12時集合 レストラン鳥居の里で昼食
(鳥居やすらぎ市民農園管理棟)
13時 遺構見学
13時30分 講義&質疑応答 (の~らにて)
15時30分 メンバートーク
16時 閉会
参加締切 4月26日(木)
例会担当者 中田、木村、上田、友田
周辺地図
http://g.co/maps/a9q74
続き▽
短命に終わった悲運の出石鉄道を中心に、但馬・北近畿の鉄道の歴史を紐解きます。鉄道や近代化遺産について、ミクロからマクロ、技術から社会背景まで広く深く調査・研究されている永井さんを講師にお招きし、今に残る数少ない遺構もいくつかご案内いただきます。硬軟自在の多彩な視点から繰り広げられる「永井ワールド・鉄道編」をお楽しみください。
講 師 永井英司さん(郷土史家/森林インストラクター)
日 時 2012年4月28日(土)12時~16時
場 所
集合(昼食): レストラン鳥居の里 (出石町鳥居 やすらぎ農園内 ℡ 0796-52-5553)
例会 : 暮らしの学校 の~ら (出石町鳥居785 ℡ 0796-20-1295)
スケジュール
12時集合 レストラン鳥居の里で昼食
(鳥居やすらぎ市民農園管理棟)
13時 遺構見学
13時30分 講義&質疑応答 (の~らにて)
15時30分 メンバートーク
16時 閉会
参加締切 4月26日(木)
例会担当者 中田、木村、上田、友田
周辺地図
http://g.co/maps/a9q74
続き▽
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2011,12,06, Tuesday
■□ 但馬学研究会 2011年度~2012年度 12月例会報告 □■
日時:2011年12月3日(土)14:00〜17:00
場所:鷹野神社とその周辺・奥城崎シーサイドホテル
講師:山田寿夫(やまだとしお)氏
神誕生
通称「猫崎半島」との付け根に『誕生』の碑が建っている。今、まちおこしの一環で「誕生の塩」が注目されている。この「誕生」の意味を探るべく山田寿夫氏にお伺いした。
竹野駅から海岸方面に竹野川を超え、真っ直ぐ行くと、鷹野神社にぶつかる。ここに祀られている祭神こそ「誕生」の鍵を握る神(人物?)武甕槌神(タケミカヅチ)だ。彼の名は別名、建御雷男神(タケミカヅチオノカミ)または「鹿島神(かしまのかみ)」と呼ばれ、茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮の祭神で、また塚原卜伝が剣聖として全国に鹿島神を広めたことで今では武道の神様として知られている。
プレヤマト王権時代、武甕槌神は経津主神(フツヌシノカミ)と共に高天原の使者として出雲へ赴き、大国主神の息子である建御名方神(タケミナカタノカミ)と戦い勝利し、これにより「国譲り神話」が出来上がるのである。
晴れて使命を全うした武甕槌命は出雲から船で帰る途中に立ち寄ったのが猫崎半島の付け根であることから、ここが神誕生の地と言うことで「誕生」の碑が建てられた。猫崎半島というのは通称であり、本来は鹿島半島と呼ぶ。
またこの鹿島半島の東は西風をよく防ぐので船の風除けとして、多い時は800艘もの船が係留したらしい。それほどの良港なので北前船の寄港地として栄えたのだとか。
また「誕生」の碑の裏には「誕生之浦」と書かれているが、山田先生によると本来は「神誕生之浦」と書かれるべきだったと話されていた。
この他にも、鷹野神社に纏わることやら竹野の歴史を沢山お聞きしたのだが、今回は「誕生」に絞って報告させて頂いた
以上
文責 太田伸吾
日時:2011年12月3日(土)14:00〜17:00
場所:鷹野神社とその周辺・奥城崎シーサイドホテル
講師:山田寿夫(やまだとしお)氏
神誕生
通称「猫崎半島」との付け根に『誕生』の碑が建っている。今、まちおこしの一環で「誕生の塩」が注目されている。この「誕生」の意味を探るべく山田寿夫氏にお伺いした。
竹野駅から海岸方面に竹野川を超え、真っ直ぐ行くと、鷹野神社にぶつかる。ここに祀られている祭神こそ「誕生」の鍵を握る神(人物?)武甕槌神(タケミカヅチ)だ。彼の名は別名、建御雷男神(タケミカヅチオノカミ)または「鹿島神(かしまのかみ)」と呼ばれ、茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮の祭神で、また塚原卜伝が剣聖として全国に鹿島神を広めたことで今では武道の神様として知られている。
プレヤマト王権時代、武甕槌神は経津主神(フツヌシノカミ)と共に高天原の使者として出雲へ赴き、大国主神の息子である建御名方神(タケミナカタノカミ)と戦い勝利し、これにより「国譲り神話」が出来上がるのである。
晴れて使命を全うした武甕槌命は出雲から船で帰る途中に立ち寄ったのが猫崎半島の付け根であることから、ここが神誕生の地と言うことで「誕生」の碑が建てられた。猫崎半島というのは通称であり、本来は鹿島半島と呼ぶ。
またこの鹿島半島の東は西風をよく防ぐので船の風除けとして、多い時は800艘もの船が係留したらしい。それほどの良港なので北前船の寄港地として栄えたのだとか。
また「誕生」の碑の裏には「誕生之浦」と書かれているが、山田先生によると本来は「神誕生之浦」と書かれるべきだったと話されていた。
この他にも、鷹野神社に纏わることやら竹野の歴史を沢山お聞きしたのだが、今回は「誕生」に絞って報告させて頂いた
以上
文責 太田伸吾
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2011,12,06, Tuesday
■□ 但馬学研究会 2011年度~2012年度 12月例会案内 □■
────◇◆ テーマ ◇◆───────────────────────────────
塩の道と北前船
〜但馬の平家伝説、鷹野神社のお話など〜
────────────────────────────────────────────
担当: 幹事会
緊急連絡先(太田 09088885432 )
────────────────────────────────────────────
日時: 平成23年12月3日(土)14:00~
場所:奥城崎シーサイドホテル(0796-47-1651)
講師:山田寿夫(やまだとしお)氏(豊岡市文化財審議委員)
────────────────────────────────────────────
〔スケジュール〕
・14:00 鷹野神社集合 現地視察
奥城崎シーサイドホテルに移動
・15:00~16:30 講師による講義
・16:30~17:00 会員トーク
・17:00~18:00 自由時間(お風呂でも)
・18:00~ 忘年会
────────────────────────────────────────────────
★参加締切り 11月30日(木)
ATTENTION!! ご注意ください
今回の出席確認は
忘年会出席と宿泊出席がありますのでどちらかを明記してください
忘年会(個人負担約4000円) 出 or 欠
宿 泊(個人負担約8000円) 出 or 欠
料理はカニ会席になります、もし蟹アレルギーの方がいらっしゃいましたら
お申し出下さい
────────────────────────────────────────────────
────◇◆ テーマ ◇◆───────────────────────────────
塩の道と北前船
〜但馬の平家伝説、鷹野神社のお話など〜
────────────────────────────────────────────
担当: 幹事会
緊急連絡先(太田 09088885432 )
────────────────────────────────────────────
日時: 平成23年12月3日(土)14:00~
場所:奥城崎シーサイドホテル(0796-47-1651)
講師:山田寿夫(やまだとしお)氏(豊岡市文化財審議委員)
────────────────────────────────────────────
〔スケジュール〕
・14:00 鷹野神社集合 現地視察
奥城崎シーサイドホテルに移動
・15:00~16:30 講師による講義
・16:30~17:00 会員トーク
・17:00~18:00 自由時間(お風呂でも)
・18:00~ 忘年会
────────────────────────────────────────────────
★参加締切り 11月30日(木)
ATTENTION!! ご注意ください
今回の出席確認は
忘年会出席と宿泊出席がありますのでどちらかを明記してください
忘年会(個人負担約4000円) 出 or 欠
宿 泊(個人負担約8000円) 出 or 欠
料理はカニ会席になります、もし蟹アレルギーの方がいらっしゃいましたら
お申し出下さい
────────────────────────────────────────────────
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2011,08,22, Monday
■□ 但馬学研究会 2011年~2012年度 8月例会報告 □■
日時:2011年8月27日(土)10:00〜12:00
場所:山陰海岸ジオパーク遊覧
講師:谷本 勇(たにもといさむ)氏
竹野港から但馬御火浦までの海岸地形を見学します。
下記の動画と一緒にご覧下さい
http://www.youtube.com/watch?v=noKROpKHPIY
1分
竹野川河口から出発です。
河口左岸は日本列島が大陸東端にあったころの火砕岩からなる角礫岩の地層です。
2分
大浦湾北部一帯の角礫岩層からなる地域を大マン、小マンといいます。
3分
切浜湾先端部の下山中央部の淀洞門です。洞門は山の中央を縦に走る断層に沿ってできています。
4分
切浜湾のはさかり岩です。ここは花崗岩の角礫を含んだ角礫岩からできています。亀裂によって上部の岩が崩落し、挟まったものと思われます。
5分
須井洞門です。付近にはいくつかの洞門や甌穴など亀裂沿いに侵食された地形が見られます。
相谷の貝殻島です。花崗岩の白い角礫が貝殻に見えるところから名付けられています。
6分
安来松島です。小島が一列に並ぶこの付近の景観を安来松島と呼んでいます。
7分
佐津海岸先端部の小山は柴山湾への目印となるため「柴山」と呼ばれます。
北側の岩壁を「柴山赤壁」といいます。
8分
この洞門は「朝日洞門」といいます。
8分30秒
柴山港口の金鉱山の入り口です。
9分30秒
北前船の寄港地、現在の漁港「沖の浦」です。
http://www.youtube.com/watch?v=ilbgk9Vv2xY
0分
火成岩にできた亀裂部が侵食されてできた香住キャニオンです。付近には大穴洞門があります。
0分40秒
湾口の波消しのケーソンです。
0分56秒
香住湾内、中央の、泥岩砂岩からなる白石島です。
1分20秒
香住湾西部一帯を香住松島といいます。
柱状節理が美しい弁天島です。
湾の奥が三田浜海水浴場です。
2分30秒
この付近は栃三田です。(この付近でも動物の足跡化石が発見されています。)泥岩砂岩の地層と上部の火成岩が重なる垂直の岩壁です。
4分
黄色の二つの島は「兄弟赤島」といいます。
この入り江をオッパセ浜といいます。
背後の壁は天然記念物「鎧の袖」です。
崖の前の小島は天然の造形「蜂の巣岩」、「鷹巣岩」です。
「鎧の袖」付近の全景です。
6分
泥岩砂岩の重なり合った地層が「松ヶ崎百層崖」です。
この付近を「水の浦」といいます。動物の足跡化石を含む泥岩砂岩層に割り込んだ黒い岩石が弁天島火成岩です。さらに、この二つの岩石を切って割り込んだのが「鎧の袖」をつくる岩石で、付近越智走の重なりが最もよく解かる場所です。
7分22秒
四角い穴が「衣笠洞門」別名「百間洞門」です。
8分
松ヶ崎百層崖の全景 縞模様が美しい海食崖です。
9分
「余部橋梁」 余部鉄橋に変わってつくられた余部橋梁です。狭く険しい谷間は但馬の地形を代表する地形といえます。
9分30秒
伊笹岬と御崎、陸の孤島といわれたへき地の村、平家伝説の村「御崎」が急斜面にへばり付くように立地しています。
http://www.youtube.com/watch?v=Xoo4RCuCWHQ
0分
伊笹岬の先端部、260mの山頂部には日本で最も高い場所の灯台が航行安全を図っています。
1分30秒
そそり立つ岩壁の亀裂に沿って洞門が並びます。そのうち釣鐘洞門は高さ約50m余の洞門です。
1分50秒
火成岩からなる鋸岬は硬いため、侵食に弱い周囲の礫岩が侵食されて残った地形です。
岬中央の洞門は離水洞門の「旭洞門」です。
3分
鋸岬と大島の間は「三尾松島」といわれます。ここは絶好の磯漁場です。
4分
約三百万年前に割り込んだ流紋岩の岩床の柱状節理が美しい三尾大島です。
島には厳島神社が祭られ、灯台が置かれています。
三尾の村は沿岸、磯漁業の村です。船はここで折り返します。
7分
竹野に帰ってきました。
陸繋島の猫崎半島です。
8分
半島先端部には流紋岩の節理が無数に発達してできた大仏、小仏といわれる奇岩の岩壁です。
9分
流紋岩が泥岩砂岩層の上に重なっている様子が見られます。
半島西側には半島のすそを取り巻くように波食棚が発達しています。
10分
泥岩砂岩層の傾きがよくわかります。
日時:2011年8月27日(土)10:00〜12:00
場所:山陰海岸ジオパーク遊覧
講師:谷本 勇(たにもといさむ)氏
竹野港から但馬御火浦までの海岸地形を見学します。
下記の動画と一緒にご覧下さい
http://www.youtube.com/watch?v=noKROpKHPIY
1分
竹野川河口から出発です。
河口左岸は日本列島が大陸東端にあったころの火砕岩からなる角礫岩の地層です。
2分
大浦湾北部一帯の角礫岩層からなる地域を大マン、小マンといいます。
3分
切浜湾先端部の下山中央部の淀洞門です。洞門は山の中央を縦に走る断層に沿ってできています。
4分
切浜湾のはさかり岩です。ここは花崗岩の角礫を含んだ角礫岩からできています。亀裂によって上部の岩が崩落し、挟まったものと思われます。
5分
須井洞門です。付近にはいくつかの洞門や甌穴など亀裂沿いに侵食された地形が見られます。
相谷の貝殻島です。花崗岩の白い角礫が貝殻に見えるところから名付けられています。
6分
安来松島です。小島が一列に並ぶこの付近の景観を安来松島と呼んでいます。
7分
佐津海岸先端部の小山は柴山湾への目印となるため「柴山」と呼ばれます。
北側の岩壁を「柴山赤壁」といいます。
8分
この洞門は「朝日洞門」といいます。
8分30秒
柴山港口の金鉱山の入り口です。
9分30秒
北前船の寄港地、現在の漁港「沖の浦」です。
http://www.youtube.com/watch?v=ilbgk9Vv2xY
0分
火成岩にできた亀裂部が侵食されてできた香住キャニオンです。付近には大穴洞門があります。
0分40秒
湾口の波消しのケーソンです。
0分56秒
香住湾内、中央の、泥岩砂岩からなる白石島です。
1分20秒
香住湾西部一帯を香住松島といいます。
柱状節理が美しい弁天島です。
湾の奥が三田浜海水浴場です。
2分30秒
この付近は栃三田です。(この付近でも動物の足跡化石が発見されています。)泥岩砂岩の地層と上部の火成岩が重なる垂直の岩壁です。
4分
黄色の二つの島は「兄弟赤島」といいます。
この入り江をオッパセ浜といいます。
背後の壁は天然記念物「鎧の袖」です。
崖の前の小島は天然の造形「蜂の巣岩」、「鷹巣岩」です。
「鎧の袖」付近の全景です。
6分
泥岩砂岩の重なり合った地層が「松ヶ崎百層崖」です。
この付近を「水の浦」といいます。動物の足跡化石を含む泥岩砂岩層に割り込んだ黒い岩石が弁天島火成岩です。さらに、この二つの岩石を切って割り込んだのが「鎧の袖」をつくる岩石で、付近越智走の重なりが最もよく解かる場所です。
7分22秒
四角い穴が「衣笠洞門」別名「百間洞門」です。
8分
松ヶ崎百層崖の全景 縞模様が美しい海食崖です。
9分
「余部橋梁」 余部鉄橋に変わってつくられた余部橋梁です。狭く険しい谷間は但馬の地形を代表する地形といえます。
9分30秒
伊笹岬と御崎、陸の孤島といわれたへき地の村、平家伝説の村「御崎」が急斜面にへばり付くように立地しています。
http://www.youtube.com/watch?v=Xoo4RCuCWHQ
0分
伊笹岬の先端部、260mの山頂部には日本で最も高い場所の灯台が航行安全を図っています。
1分30秒
そそり立つ岩壁の亀裂に沿って洞門が並びます。そのうち釣鐘洞門は高さ約50m余の洞門です。
1分50秒
火成岩からなる鋸岬は硬いため、侵食に弱い周囲の礫岩が侵食されて残った地形です。
岬中央の洞門は離水洞門の「旭洞門」です。
3分
鋸岬と大島の間は「三尾松島」といわれます。ここは絶好の磯漁場です。
4分
約三百万年前に割り込んだ流紋岩の岩床の柱状節理が美しい三尾大島です。
島には厳島神社が祭られ、灯台が置かれています。
三尾の村は沿岸、磯漁業の村です。船はここで折り返します。
7分
竹野に帰ってきました。
陸繋島の猫崎半島です。
8分
半島先端部には流紋岩の節理が無数に発達してできた大仏、小仏といわれる奇岩の岩壁です。
9分
流紋岩が泥岩砂岩層の上に重なっている様子が見られます。
半島西側には半島のすそを取り巻くように波食棚が発達しています。
10分
泥岩砂岩層の傾きがよくわかります。
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