2012年~2013年度 10月例会報告 「平家物語 畑地区編~但馬の平家を知る」
日 時    2012年10月27日(土)

場 所    香美町香住区 畑 (畑公民館)

講 師    青山喜一さん 畑区長 (香美町消防団長)

■テーマの狙い

全国で数多い平家伝説の地の中心で、史跡に指定されている所。この土地の人は、矢立の松と共に今日まで暮らしてきた。樹齢数百年を経た老松が海抜500m余の山頂に、どーんと陣取っていた。それは正しく平家の象徴、赤い幟旗とを重ね合わせた心の情景は、今も変わってはいない。通常平家の落人部落といえば「隠れ里」のイメージが強いが、畑地区は広々とした平地である。そのあたりを学ぶことにする。



■はじめに

平家の落人伝説のある地は,大概 あまり人も通わぬへき地にあるが、今回お邪魔した香美町畑地区は海岸から佐津川沿いに6キロ海抜100m、谷のゆったりと平らけたところにある。この谷の一番奥は、三川権現のある三川地区であり、畑はそのずっと手前にありへき地と言う感じはあまりない。それもそのはずで、平家伝説の地は、畑地区の背後の標高500mほどの山の中にあり、それがいつの頃からか現在地に移り住んだと言われている。今回は畑地区区長、青山喜一さんから、その伝説のことや地域の発展への取り組みの熱い思いを伺った。

■畑地区の状況

地区の入り口に「平家之史跡畑」の石碑が立っている。地名は養蚕から始っている。大綺里→大綺村→機→畑。昭和16年当地の将来を見越して、桑畑を水田に変え稲作を提唱され実現されたのが、当地区平家の末裔と言われる伊賀平内左衛門氏である。

当時サイホンの技術なども使って水路も整備され、桑畑はすべて今の田んぼにされた功労者であり畑公民館には「火 田 豊 寧」の額がかかっていた。何代か前の香住町町長さんの揮毫とお見受けしたが、畑の地名の言われつまり、焼畑→火 田→「畑は豊かで平和である」と言う意味だろうと解釈した。地区を見渡しても平家の落人伝説を思わせるものは全くない。畑地区はかって64軒あったが明治44年6月13日火災で19軒焼けた。土蔵で残っていたのは2軒、壁下は竹ではなく全て木であった。今は33戸である。川を挟んで西畑、東畑と称している。



■落人が住みついたと言われる所

畑地区の裏山の山頂近くを平家平と総称し、御所が平、お屋敷、矢立松、走る場、陣ヶ平、馬冷し場,峰火場、烏帽子岩、古屋敷、天神屋敷と呼ばれる場所がある、地籍上の小字名ではない、烏帽子岩は夜、武具等を干す夜干し岩という説もある。この辺りは約30ヘクタールあり、地区民の生活と結びついていた生産の場、焼畑などの場所で平家かぶらが採れた。墓はこの場所では見つかっていない。整地をしたら饅頭石が出土したことがある(墓は元禄以降でないと作らない)。鎧刺しや刀の折れたもの、つぼ、食器なども出土した。刀に禄の字が読める。鎧刺しは今もある人が所有している。

■矢立の松

陣ヶ平に1本そびえ立っていた樹齢300年の古松、武士たちが弓矢の的にして訓練していたと伝えられる松を言う。畑地区のシンボルだったが松喰い虫の被害にあい、昭和58年12月に村の関係者数人の立会いのもとに伐採された。その幹の一部が地区公民館に据え置かれている。

矢立の松は地区民の農林生産活動の拠点だった平家平に登る途中にあり、目印し、休憩場所、落ち合い場所、物の一時置き場所として地区民の生活に深く根付き愛着を持たれていた。



■伊賀平内左衛門家

文治元年(1185年)壇の浦で源平争乱のクライマックス、壇の浦の合戦で安徳天皇が入水し、侍大将の伊賀平内左衛門も戦死したと言うのが平家物語のストーリーだが、そうではなくて天皇も一部の公達、武士たちもうまく生きのび各地に隠れ住んだと言うのが、いわゆる平家落人伝説である。伊賀平内左衛門は、はじめ香住の御崎に隠れ住み、のちに畑の山中に移り住んだと言われている。そしていつの頃か山を下り現在の畑に住むようになったそうである。その当時畑は養蚕、織物で暮らしていた。六軒衆と呼ばれる家系があり今でも三軒が現存している。

畑地区内では伊賀家の分家があるが、伊賀ではなく「垣」を貰い「井垣」「谷垣」などの姓になっている。御崎や田久日は全村が落人の家という構成になっているようだが、畑では伊賀家一軒のみが平家の末裔であることが特徴的である。

畑の氏神様、八柱神社の境内の近くに、伊賀家先祖の墓と言われている台石のみ残る古墓がある。現当主は神戸に住んでおられ、畑では八柱神社の手前に広大な屋敷跡が残っている。伊賀家の家紋は本家分家とも同じである。



■今地元では

地区民の落人部落であるという関心はあまり高いとは言えないようである。伝統行事もなく落人伝説を通じて地区の振興に役立たせる振興組織もないが、区長の声かけには全戸が協力してくれている。町の補助により「平家落人の村?」という看板も立てた。

この佐津谷?の地区の運動会では、畑地区は赤い旗(平家の旗)で必ず優勝する、赤は戦う勇気を示す色である。それから伝説にもとずいて、畑、御崎、田久日の、のろし台からのろしを上げ合うイベント開催の話もある。実現すれば一躍脚光を浴びるであろう。



■ おわりに

但馬学研究会の平成24年度のテーマは但馬平家物語で、8月例会は海の田久日だったので今回は山の畑を選んだ、山と言っても畑は交通至便な平地で伝説の受け継がれ方の一つとして面白い地区だった。かっての士の夢の跡平家平へは、今では四駆車で登れるようなので、いつか番外編として登ってみたいと思っている。その際は皆さんのご参加をお願いしこのレポートを閉じることにする。
                                                                         【担当者】久保、藤井、飯尾                                                                           【文 責】飯尾文男
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2012年~2013年度 10月例会案内
◆テーマ  平家物語(畑聚落編)◆

全国で数多い平家聚落の中で、史跡に指定されている所。

この土地の人は、矢立の松と共に今日まで暮らしてきた。樹齢数百年を経た老松が、海抜500メートル余の山頂に、どーんと陣取っていた。それは正しく平家の象徴、赤い幟旗とを重ね合わせた心の情景は、今も変ってはいない。
平家かぶらは、平家の聚落でしか育たない、と聞くが本当ですか?
そんな疑問にも答えて戴きながら、皆さんと一緒にお話を伺います。


日時 :  2012年10月27日(土)  12:00~16:00

場所 :  畑公民館  (香美町香住区畑)

講師 :  青山喜一氏 (畑 区長、香美町消防団長)

スケジュール
     12:00~13:00     集合 ・ 昼食

     13:00~15:00     講話

     15:00~15:30     質問

     15:30~16:00     会員トーク (閉会)
         

参加締切   10月25日(木)

例会担当者  久保 藤井 飯尾


※ 会場への道順
豊岡市街地から.鳥取、香美方面、178号線を進み江野トンネル、土生トンネルを下りると、直ぐ香住、余部へと続く道路が左側にある。

 それが178号線になっているが、この道路には入らず直進する(柴山、佐津方面に向かう)これが256号線で、少し走ると左側にJAたじま、さづ支店のGSと、マーケットがある。そこを左に曲がる(256号線 三川権現)の標識がある.後は1本道で次の集落が、畑の会場となる。

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