2007,11,27, Tuesday
開催月日 2007年11月24日(土)
開催市町 豊岡市日高町
テーマ 「但馬発、ブロイラー秘話」
講師 岸田直正さん(但馬養鶏農業協同組合代表理事 組合長)
場所 但馬養鶏農業協同組合
参加者 中田 能登 島垣 峠 中安 高石 谷岡 木村 大田 成田 高倉 宮元(12名)
会員外 1名
担当 中田 能登 宮元
<工場見学>
白衣・帽子・マスクを着用。備え付けの長靴を履いて足を洗浄し、さらにエアシャワーを浴びる。その上で、作業場を窓越しに見学し、説明を受ける。
工場の室温は常に一定(15~16℃)に保たれている。隣室でばらされた鶏肉がコンベアで流されて処理され、ムネ肉やモモ肉などを自動計測し、2kg毎にパックされる。金属探知機などによる検査を実施している。
1日に約2万羽を処理している。丸のまま専門店に行く肉と解体される肉との2種類がある。
<岸田代表理事のお話>
平成16年の台風23号の時には、工場が高さ3mまで水没し貴重な資料が流された。
・ブロイラーとは
米国で品種改良された鶏で、あぶり焼きするので「ブロイラー」という名前が付けられた。戦後、進駐軍が日本に持ち込んだ。あまり大きくない鶏で、飼育期間を短くする。
・但馬と養鶏の歴史
一時は但馬の生産量が全国1位の時もあったが、今は8位ぐらいである。
但馬は山間地が多く谷間に人が住むが、5反未満の農地が多いため副業が必要である。 昔は養蚕や出稼ぎで生計を立てていたが、化学繊維の普及や海外からの輸入で絹の需要が減ったため、養蚕に変わる産業として、早く換金でき回転率が良い養鶏が盛んになった。 但馬はブロイラー養鶏の発祥の地である。
流通面では京都という大きな市場があった。鶏肉を食するのは福岡県が一番早かったそうだが、京都は鶏肉の食事が多く、江戸時代からカシワと呼ばれていた。
元々1羽1羽手でさばいていたが、アメリカやオランダから自動処理機が輸入され、大量生産できるようになり急激に生産が拡大した。この工場でも1日2~3万羽処理している。
余剰穀物を日本に輸出したいという米国の思惑があった。
「畜産を振興せよ。酪農をして牛乳を飲め。」
当時の厚生省が子供に動物性蛋白質を与えて、体を大きくしたいという国策があった。
「安価で良質な蛋白=鶏」
昭和30年代に但馬でブロイラー飼育が急速に拡大し、産業として成立した。全国的にも鹿児島県、宮崎県、岩手県などに生産団地が造られる。農家の所得の低い所が産地となった。昭和30年代から昭和50年代初めまで但馬が全国1位であったが、九州や東北勢に負けて8~9位に下がった。
・現在の養鶏
最初は小さな鶏小屋だったが、九州や東北で米国型の無窓鶏舎に変化する。但馬もそれにならった。
最近、鶏舎が見あたらなくなったが、実は山の上にある。鶏は皮膚呼吸しないため、夏の高温に弱いためである。現在、但馬で300万羽飼育され、月100万羽が出荷されるが、八鹿・建屋・出石の奥などに30万羽飼育する団地がある。
餌は米国からの輸入がほとんどで、とうもろこし、コウリャン、魚の粉末などだが、相場、市況で価格が左右される。販売についても同様であり、農家が一定の所得を得るためには、安定した供給を行う必要がある。
マスコミで肉の偽装について報じられているが、同業者として困ったことだと思う。
米国からヒヨコの種を輸入するが、病気がすぐに伝染する。1週間で半分の鶏が死んだこともあった。最近は鳥インフルエンザで、鴨とかの渡り鳥が病原菌を運ぶ。農水省が生ワクチンを認定しないため自己防衛するしかない。
<工場についての説明>
工場で1時間に3700~3800羽を処理する。MAXは4800羽である。ISO9001を取得している(兵庫県認定1号)。
見学したのは加工課。処理工程として、生鳥搬入→懸鳥→湯漬→脱羽→内臓検査(1羽ずつ獣医が行う)→冷却(鳥肌を立てるため1~2度の水槽で)→解体→整形→真空包装→金属探知機、X線探知機→箱詰め→保管
1羽が処理されるのに2時間5分。県の立ち入り検査が年2回。トレーサビリティはHASEPの条件。
<質疑応答>
Q.条件に適合していたのは但馬だけではないはずで、1番になれた理由についてもっと踏み込んで詳しく教えていただきたい。
A.カシワは京都で一番多く食されていた。日高町十戸のK氏は元々卵の鶏を飼っていたが、ある時鶏舎が燃えてしまった。そこで京都の料亭に勤めていた従兄弟に相談したところ、ブロイラーを飼えばどうかということで、大きな問屋を紹介された。ただし、そのためには鶏の供給量が必要だったので大勢の農家に協力してもらった。そのため日高が最大の生産地になり、日高に工場を建設した。K氏は創業者であり、初代社長である。
京都は鶏(カシワ)を食する文化があり、大阪は軍鶏や家鴨を食する文化がある。景気の良い頃で2000羽飼っている人は校長先生ぐらいの収入があった。
Q.昔「山岸会」というのがあったが。
A.卵を取る鶏を共同で飼育し、卵を販売していた。元々三重県発祥で会員を増やした。 ノウハウがあったので大屋谷で大勢の会員がいた。鶏舎が同じ形だった。出石の一宮、奈佐、美方郡で養鶏をしていたし、表日本にも大きな鶏舎があったが、競争に負けて消滅した。
Q.ヒヨコの種を米国から輸入しているとはどういうことか。
A.米国は農業国であり、改良が進んでいる。米も穀物も世界の種を手中に収めている。 ブロイラーを何代も交配しており、日本は追いつけない。原種鶏といい、成長スピードが速く、肉質が柔らかい。
ニクソン大統領が中国と国交を結ぶために訪中した際に、お土産としてブロイラーの種を持参した。今や中国はブロイラーの大生産地となり、世界3位。日本にブロイラーを輸出している。
日本は種鶏を米国や英国から輸入する。これは雄・雌のヒヨコで、孵化場で1羽を100羽に増やす。種鶏はとても値段が高い。
Q.地鶏とは?
A.国内で昔から飼われていた。名古屋コーチン、比内鶏、鹿児島軍鶏など。江戸時代武士が庭で飼っていたため、明治になっても種が残った。他の種と掛け合わせて1/4の血でも地鶏と表示してもよいことになっている。純粋なものは少ないはずである。ブロイラーとは異なる。
ブロイラーの60日間飼育は柔らかい。80(または90)日飼育は少し堅いがおいしい。値段も高い。「地べたを歩いていたら地鶏」なのではない。
世界中にブロイラーがあり、日本への輸出は、ブラジルが一番多く、次いで中国・タイの順。
Q.廃棄物について
A.梁瀬に「レンタリング」という蛋白再生工場がある。羽毛、血液、骨を処理して、肥料や飼料にする。鶏糞は肥料にする。チキンオイルで石鹸を作る。「赤い羽根」は鶏の羽根。ブロイラーの羽根は水気がくっつき、鴨や家鴨の羽根は水をはじく。
Q.飼い方について
A.温度、湿度、空気量を管理する。コンピュータでエアコンをコントロールする。無窓なので照明は電気。夜は1日のサイクルと同じく照明を消している。
Q.塩素処理について
A.薬は塩素のみ許可。(厚労省)肉には菌がいないため表面のみ殺菌する。京都ではカシワを生で食べる文化があり、料亭でササミを刺身で食べる。ムネ肉の皮をフライパンで1~2ミリの厚さで焼いてタタキにし、ポン酢で食べる。表面だけ焼けば食中毒はない。
Q.どのようなクレームがあるか。
A.一番多いのは軟骨が入っているケース。
Q.病気を防ぐために抗生物質の使用について
A.無薬を前提、原則とする。生物を薬なしで育てることは大変難しい。残留許されない。 飼料には遺伝子組み換えの穀物は使わない。サルファ剤などの抗生物質も入れていない。 ヒヨコは専門商社や総合商社が仕入れる。日本で検疫を行い、1~2週間飼って発病しないか検査する。保菌しないものが流通する。
<最後に一言>
但馬フーズのブランド「すこやか鶏」は量販店で売っている。最寄りの店、サトウのスーパー、全糧、神戸や関西のスーパー、イトーヨーカ堂。
(報告者:宮元清人)
開催市町 豊岡市日高町
テーマ 「但馬発、ブロイラー秘話」
講師 岸田直正さん(但馬養鶏農業協同組合代表理事 組合長)
場所 但馬養鶏農業協同組合
参加者 中田 能登 島垣 峠 中安 高石 谷岡 木村 大田 成田 高倉 宮元(12名)
会員外 1名
担当 中田 能登 宮元
<工場見学>
白衣・帽子・マスクを着用。備え付けの長靴を履いて足を洗浄し、さらにエアシャワーを浴びる。その上で、作業場を窓越しに見学し、説明を受ける。
工場の室温は常に一定(15~16℃)に保たれている。隣室でばらされた鶏肉がコンベアで流されて処理され、ムネ肉やモモ肉などを自動計測し、2kg毎にパックされる。金属探知機などによる検査を実施している。
1日に約2万羽を処理している。丸のまま専門店に行く肉と解体される肉との2種類がある。
<岸田代表理事のお話>
平成16年の台風23号の時には、工場が高さ3mまで水没し貴重な資料が流された。
・ブロイラーとは
米国で品種改良された鶏で、あぶり焼きするので「ブロイラー」という名前が付けられた。戦後、進駐軍が日本に持ち込んだ。あまり大きくない鶏で、飼育期間を短くする。
・但馬と養鶏の歴史
一時は但馬の生産量が全国1位の時もあったが、今は8位ぐらいである。
但馬は山間地が多く谷間に人が住むが、5反未満の農地が多いため副業が必要である。 昔は養蚕や出稼ぎで生計を立てていたが、化学繊維の普及や海外からの輸入で絹の需要が減ったため、養蚕に変わる産業として、早く換金でき回転率が良い養鶏が盛んになった。 但馬はブロイラー養鶏の発祥の地である。
流通面では京都という大きな市場があった。鶏肉を食するのは福岡県が一番早かったそうだが、京都は鶏肉の食事が多く、江戸時代からカシワと呼ばれていた。
元々1羽1羽手でさばいていたが、アメリカやオランダから自動処理機が輸入され、大量生産できるようになり急激に生産が拡大した。この工場でも1日2~3万羽処理している。
余剰穀物を日本に輸出したいという米国の思惑があった。
「畜産を振興せよ。酪農をして牛乳を飲め。」
当時の厚生省が子供に動物性蛋白質を与えて、体を大きくしたいという国策があった。
「安価で良質な蛋白=鶏」
昭和30年代に但馬でブロイラー飼育が急速に拡大し、産業として成立した。全国的にも鹿児島県、宮崎県、岩手県などに生産団地が造られる。農家の所得の低い所が産地となった。昭和30年代から昭和50年代初めまで但馬が全国1位であったが、九州や東北勢に負けて8~9位に下がった。
・現在の養鶏
最初は小さな鶏小屋だったが、九州や東北で米国型の無窓鶏舎に変化する。但馬もそれにならった。
最近、鶏舎が見あたらなくなったが、実は山の上にある。鶏は皮膚呼吸しないため、夏の高温に弱いためである。現在、但馬で300万羽飼育され、月100万羽が出荷されるが、八鹿・建屋・出石の奥などに30万羽飼育する団地がある。
餌は米国からの輸入がほとんどで、とうもろこし、コウリャン、魚の粉末などだが、相場、市況で価格が左右される。販売についても同様であり、農家が一定の所得を得るためには、安定した供給を行う必要がある。
マスコミで肉の偽装について報じられているが、同業者として困ったことだと思う。
米国からヒヨコの種を輸入するが、病気がすぐに伝染する。1週間で半分の鶏が死んだこともあった。最近は鳥インフルエンザで、鴨とかの渡り鳥が病原菌を運ぶ。農水省が生ワクチンを認定しないため自己防衛するしかない。
<工場についての説明>
工場で1時間に3700~3800羽を処理する。MAXは4800羽である。ISO9001を取得している(兵庫県認定1号)。
見学したのは加工課。処理工程として、生鳥搬入→懸鳥→湯漬→脱羽→内臓検査(1羽ずつ獣医が行う)→冷却(鳥肌を立てるため1~2度の水槽で)→解体→整形→真空包装→金属探知機、X線探知機→箱詰め→保管
1羽が処理されるのに2時間5分。県の立ち入り検査が年2回。トレーサビリティはHASEPの条件。
<質疑応答>
Q.条件に適合していたのは但馬だけではないはずで、1番になれた理由についてもっと踏み込んで詳しく教えていただきたい。
A.カシワは京都で一番多く食されていた。日高町十戸のK氏は元々卵の鶏を飼っていたが、ある時鶏舎が燃えてしまった。そこで京都の料亭に勤めていた従兄弟に相談したところ、ブロイラーを飼えばどうかということで、大きな問屋を紹介された。ただし、そのためには鶏の供給量が必要だったので大勢の農家に協力してもらった。そのため日高が最大の生産地になり、日高に工場を建設した。K氏は創業者であり、初代社長である。
京都は鶏(カシワ)を食する文化があり、大阪は軍鶏や家鴨を食する文化がある。景気の良い頃で2000羽飼っている人は校長先生ぐらいの収入があった。
Q.昔「山岸会」というのがあったが。
A.卵を取る鶏を共同で飼育し、卵を販売していた。元々三重県発祥で会員を増やした。 ノウハウがあったので大屋谷で大勢の会員がいた。鶏舎が同じ形だった。出石の一宮、奈佐、美方郡で養鶏をしていたし、表日本にも大きな鶏舎があったが、競争に負けて消滅した。
Q.ヒヨコの種を米国から輸入しているとはどういうことか。
A.米国は農業国であり、改良が進んでいる。米も穀物も世界の種を手中に収めている。 ブロイラーを何代も交配しており、日本は追いつけない。原種鶏といい、成長スピードが速く、肉質が柔らかい。
ニクソン大統領が中国と国交を結ぶために訪中した際に、お土産としてブロイラーの種を持参した。今や中国はブロイラーの大生産地となり、世界3位。日本にブロイラーを輸出している。
日本は種鶏を米国や英国から輸入する。これは雄・雌のヒヨコで、孵化場で1羽を100羽に増やす。種鶏はとても値段が高い。
Q.地鶏とは?
A.国内で昔から飼われていた。名古屋コーチン、比内鶏、鹿児島軍鶏など。江戸時代武士が庭で飼っていたため、明治になっても種が残った。他の種と掛け合わせて1/4の血でも地鶏と表示してもよいことになっている。純粋なものは少ないはずである。ブロイラーとは異なる。
ブロイラーの60日間飼育は柔らかい。80(または90)日飼育は少し堅いがおいしい。値段も高い。「地べたを歩いていたら地鶏」なのではない。
世界中にブロイラーがあり、日本への輸出は、ブラジルが一番多く、次いで中国・タイの順。
Q.廃棄物について
A.梁瀬に「レンタリング」という蛋白再生工場がある。羽毛、血液、骨を処理して、肥料や飼料にする。鶏糞は肥料にする。チキンオイルで石鹸を作る。「赤い羽根」は鶏の羽根。ブロイラーの羽根は水気がくっつき、鴨や家鴨の羽根は水をはじく。
Q.飼い方について
A.温度、湿度、空気量を管理する。コンピュータでエアコンをコントロールする。無窓なので照明は電気。夜は1日のサイクルと同じく照明を消している。
Q.塩素処理について
A.薬は塩素のみ許可。(厚労省)肉には菌がいないため表面のみ殺菌する。京都ではカシワを生で食べる文化があり、料亭でササミを刺身で食べる。ムネ肉の皮をフライパンで1~2ミリの厚さで焼いてタタキにし、ポン酢で食べる。表面だけ焼けば食中毒はない。
Q.どのようなクレームがあるか。
A.一番多いのは軟骨が入っているケース。
Q.病気を防ぐために抗生物質の使用について
A.無薬を前提、原則とする。生物を薬なしで育てることは大変難しい。残留許されない。 飼料には遺伝子組み換えの穀物は使わない。サルファ剤などの抗生物質も入れていない。 ヒヨコは専門商社や総合商社が仕入れる。日本で検疫を行い、1~2週間飼って発病しないか検査する。保菌しないものが流通する。
<最後に一言>
但馬フーズのブランド「すこやか鶏」は量販店で売っている。最寄りの店、サトウのスーパー、全糧、神戸や関西のスーパー、イトーヨーカ堂。
(報告者:宮元清人)
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