2009,03,29, Sunday
テーマ:朝子おばあちゃんの昔話
~神鍋で受け継がれる宿の味~
講 師:森 朝子さん(82歳)
日 時:平成21年3月28日(土)
場 所:神鍋高原 民宿森屋 豊岡市日高町太田41
◎朝子さん◎
朝子おばあちゃんは昭和21年12月23日に森屋に嫁いで来られた。まだ、テレビが無い時代。「スキーに来るお客といえば裕福なお嬢さんばかり。自分はもんぺ姿で働いていて、この仕事が嫌で仕方がなかった。」と語るが、今もなお現役でお嫁さんと民宿を切り盛りされている。嫁がれてから60数年。昔の苦労話もニコニコ。おもしろおかしく語る口調は、会員の我々を笑いの渦へ巻き込んでいく。
その隣で、こちらもニコニコお嫁さん。二人の仲良しぶりが直に伝わってくる。
○スキー場
昭和25年頃。一人15円でスキーボートという4人載せて山の上まで運んでくれる乗り物があった。つるべ式でワイヤーで引き上げていた。
昭和28年頃。奥神鍋にリフトが完成。
昭和32年に関西で初めて国体スキー大会(第12回国民体育大会冬期大会スキー競技会)が執り行われた。それに伴い、スキー場一帯は整備。全国から集まった選手は関西にこんな素晴らしいスキー場があったのかと驚かれ、さらに、昭和40年にも国体スキー大会(第20回)が執り行われた。
○太田地区と民宿とお客さん
国体開催を受け、辺りはスキー場の全盛期を迎える。森屋がある太田地区も民宿が急増。それまでは免許も何も無い時代だったが、国体となると免許がいることとなり、小学校の裁縫室で全員で試験を受けた。「なんて書いたん?」なんて答案用紙を見せ合いながら(?)全員合格。
当時太田地区は、肉屋・魚屋・豆腐屋・酒屋などなど多くのお店が軒を連ねた。昭和58年に民宿が75件あったとの記録があるので、全盛期はそれ以上あり、ほとんどの家が民宿であったと思われる。
お客さんは、江原駅からバスで来られる。江原駅はバス待ちのお客さんで溢れていた。バスは約50台がどんどん上がってきた。中には、スキー板を担いで歩いて登ってこられる方あったり、この道は上がりばかりで下りることができない程だった。
朝ご飯には、のり・生卵・豆腐の味噌汁。お昼はスキー小屋で食べていたが、あまりにもお客が多いので溢れた方が何か食べさせて欲しいと帰って来たほどで、帰ってくる当てはなくても鍋いっぱいにカレーを作っておけば食べてくれた。なので、お昼はカレーが定番。夜ご飯は、すき焼きやカニスキ。連泊の方は魚屋で刺身を用意するなどしていた。
突然、泊めて欲しいというお客さんもいたので、何を食べさせようかと思ったときは養鶏していた鶏をつぶして食べてもらったこともある。当時は、ご飯を炊くのもお風呂も暖をとるのも薪。お客さんも薪を取りに出るのを手伝ってくれたりした。
「お客さんがよく我慢したと思う。」「人が温かったですな。」と当時を振り返る。
○民宿の人々の生活
忙しくて忙しくて寝る暇がなかった。夜12時頃まで働いたと思ったら朝の3時には夜行列車のお客さんが到着される。鍵もかけずに疲れて寝ていた。住み込みの人を八鹿や轟(現在の養父市)から雇い、パートもお願いして1月~2月を乗り切った。
朝子おばあちゃんは2月に3人目を出産。病院で出産する時代ではない。蔵の上に畳を2畳ほど引いてそこで寝ていた。しかし、朝の3時には賑やかになるため眠れない。
子ども達も部屋なんて無い。蔵の壁を白壁にして少しでも明るくなるようにして、畳を敷いて過した。
雪が消えた頃に、みんなで山へ行き木を切りに行った。
現在も4月の10日前後には山焼きが行われ、山が守られている。
○現在の太田地区と森屋
民宿の数はペンションも入れて26件にまで減少した。最近はカニの方が冬場は人気なのかもしれない。夏も大勢来られるようになった。グラフスキーやマウンテンバイクなども盛んである。
森屋では、“すず豆茶”という昔の人はみんなが飲んでいたお茶を今も作りつづけている。河原決明(かわらけつめい)という草本に豆のような果実がなる。それですず豆(?)なのか。それを、鉄鍋で焙じて飲む。手間がかかるので一度作るのを止めたが楽しみにしているお客さんがあり、また、作り始めた。今は、作っている人もほとんど無いらしい。春に種を巻き、秋に刈って乾燥させ陰干しにしお茶にする。
ピーナッツも栽培している。ピーナツ豆腐も人気メニューの一つ。お味噌も麹も自家製。
他にも、ずいきを炊いたもの、酢ずいき、ぜんまい、麹漬けなどなどどこか懐かしいメニューが今も並んでいる。
●担当者感想●
朝子おばあちゃんの人柄が詰まった例会だった。会員の笑い声が絶えない。本当はとても苦労されたと思う。戦争・戦後の時代。その時代の移り変わり、お客さんのニーズの変化に雪が降らなくなった環境の変化。周りは閉業される中、今も頑張り続けている。
昼食に頂いた一品一品も人柄が出るのかほっとする味ばかり。たけのこもぜんまいも・・・とてもおいしく頂いた。
私もこんなおばあちゃんになりたい。
(報告者:福井久子)
~神鍋で受け継がれる宿の味~
講 師:森 朝子さん(82歳)
日 時:平成21年3月28日(土)
場 所:神鍋高原 民宿森屋 豊岡市日高町太田41
◎朝子さん◎
朝子おばあちゃんは昭和21年12月23日に森屋に嫁いで来られた。まだ、テレビが無い時代。「スキーに来るお客といえば裕福なお嬢さんばかり。自分はもんぺ姿で働いていて、この仕事が嫌で仕方がなかった。」と語るが、今もなお現役でお嫁さんと民宿を切り盛りされている。嫁がれてから60数年。昔の苦労話もニコニコ。おもしろおかしく語る口調は、会員の我々を笑いの渦へ巻き込んでいく。
その隣で、こちらもニコニコお嫁さん。二人の仲良しぶりが直に伝わってくる。
○スキー場
昭和25年頃。一人15円でスキーボートという4人載せて山の上まで運んでくれる乗り物があった。つるべ式でワイヤーで引き上げていた。
昭和28年頃。奥神鍋にリフトが完成。
昭和32年に関西で初めて国体スキー大会(第12回国民体育大会冬期大会スキー競技会)が執り行われた。それに伴い、スキー場一帯は整備。全国から集まった選手は関西にこんな素晴らしいスキー場があったのかと驚かれ、さらに、昭和40年にも国体スキー大会(第20回)が執り行われた。
○太田地区と民宿とお客さん
国体開催を受け、辺りはスキー場の全盛期を迎える。森屋がある太田地区も民宿が急増。それまでは免許も何も無い時代だったが、国体となると免許がいることとなり、小学校の裁縫室で全員で試験を受けた。「なんて書いたん?」なんて答案用紙を見せ合いながら(?)全員合格。
当時太田地区は、肉屋・魚屋・豆腐屋・酒屋などなど多くのお店が軒を連ねた。昭和58年に民宿が75件あったとの記録があるので、全盛期はそれ以上あり、ほとんどの家が民宿であったと思われる。
お客さんは、江原駅からバスで来られる。江原駅はバス待ちのお客さんで溢れていた。バスは約50台がどんどん上がってきた。中には、スキー板を担いで歩いて登ってこられる方あったり、この道は上がりばかりで下りることができない程だった。
朝ご飯には、のり・生卵・豆腐の味噌汁。お昼はスキー小屋で食べていたが、あまりにもお客が多いので溢れた方が何か食べさせて欲しいと帰って来たほどで、帰ってくる当てはなくても鍋いっぱいにカレーを作っておけば食べてくれた。なので、お昼はカレーが定番。夜ご飯は、すき焼きやカニスキ。連泊の方は魚屋で刺身を用意するなどしていた。
突然、泊めて欲しいというお客さんもいたので、何を食べさせようかと思ったときは養鶏していた鶏をつぶして食べてもらったこともある。当時は、ご飯を炊くのもお風呂も暖をとるのも薪。お客さんも薪を取りに出るのを手伝ってくれたりした。
「お客さんがよく我慢したと思う。」「人が温かったですな。」と当時を振り返る。
○民宿の人々の生活
忙しくて忙しくて寝る暇がなかった。夜12時頃まで働いたと思ったら朝の3時には夜行列車のお客さんが到着される。鍵もかけずに疲れて寝ていた。住み込みの人を八鹿や轟(現在の養父市)から雇い、パートもお願いして1月~2月を乗り切った。
朝子おばあちゃんは2月に3人目を出産。病院で出産する時代ではない。蔵の上に畳を2畳ほど引いてそこで寝ていた。しかし、朝の3時には賑やかになるため眠れない。
子ども達も部屋なんて無い。蔵の壁を白壁にして少しでも明るくなるようにして、畳を敷いて過した。
雪が消えた頃に、みんなで山へ行き木を切りに行った。
現在も4月の10日前後には山焼きが行われ、山が守られている。
○現在の太田地区と森屋
民宿の数はペンションも入れて26件にまで減少した。最近はカニの方が冬場は人気なのかもしれない。夏も大勢来られるようになった。グラフスキーやマウンテンバイクなども盛んである。
森屋では、“すず豆茶”という昔の人はみんなが飲んでいたお茶を今も作りつづけている。河原決明(かわらけつめい)という草本に豆のような果実がなる。それですず豆(?)なのか。それを、鉄鍋で焙じて飲む。手間がかかるので一度作るのを止めたが楽しみにしているお客さんがあり、また、作り始めた。今は、作っている人もほとんど無いらしい。春に種を巻き、秋に刈って乾燥させ陰干しにしお茶にする。
ピーナッツも栽培している。ピーナツ豆腐も人気メニューの一つ。お味噌も麹も自家製。
他にも、ずいきを炊いたもの、酢ずいき、ぜんまい、麹漬けなどなどどこか懐かしいメニューが今も並んでいる。
●担当者感想●
朝子おばあちゃんの人柄が詰まった例会だった。会員の笑い声が絶えない。本当はとても苦労されたと思う。戦争・戦後の時代。その時代の移り変わり、お客さんのニーズの変化に雪が降らなくなった環境の変化。周りは閉業される中、今も頑張り続けている。
昼食に頂いた一品一品も人柄が出るのかほっとする味ばかり。たけのこもぜんまいも・・・とてもおいしく頂いた。
私もこんなおばあちゃんになりたい。
(報告者:福井久子)
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