2005,11,29, Tuesday
開催月日 : 11月26日(土)
開催市町 : 養父市大屋町
テーマ : 「森と水 ─ 山の恵みと、木々の嘆き」
講 師 : 田村 準之助さん (元 森林組合、森と緑の公社、県民局勤務)
場 所 : 養父市大屋地域局
参加者 : 衣川、能登、中田、中島、成田、西体、浜野、戸田、峠、
高石、太田、木村、粂井、島垣、向井(一般)
担 当 : 島垣、戸田、小川、友田(記録)
2005年11月、養父市大屋町の大屋地域局で「森と水」をテーマに例会がもたれた。講師は森林組合に37年間勤めた大屋町の田村準之助さん。まず養父市大屋地域局の屋上に上がり、東にそびえる大屋富士と呼ばれている雄大な山を見ながら、林相を紹介していただいた。
頂上付近の濃い緑は県有林でヒノキが植林されている。下は地元の大屋市場区有林や私有林となっている。正面は下まで針葉樹の植林で埋まっている。私有林には雑木(ざつき)が残っている。右のなるい(なだらかな)あたりは昔は畑があったが、今は山に戻っている。左のほうに昔からのヒノキ林を伐ったあとがあり、植林をしなかったら、最初は雑木が生え、やがて松が生えてきた。
田村さんは、「大屋富士を見て今日の話の参考にしてほしい。『大屋のジョージョー、有名ジョー』と言われるようです」と、大屋弁が混じるのを照れながら話を続ける。
■山林の変遷
戦前から船の材料などに木材の供出(軍事用などか)が始まり、戦後は燃料用に木炭を大量に焼いて出した。戦争で家屋が焼失し、木を乱伐した。木材価格が高騰し、木がどんどん伐られた。このため、昭和26年ごろから失業対策で造林をするようになった。
しかし乱伐は進み、山が裸になっていくと、台風が来るたびに災害が起きるようになった。昭和30年代になって、「全山緑化」の国のかけ声でスギ・ヒノキ・マツを植える本格的な造林事業が始まる。
国土保全・災害対策と建築用材確保にねらいがあったようだ。針葉樹は一時的な保水力がある。夕立はだいたい3回ほど強い雨が降って止み、これを「三降り」と言った。山仕事に行って夕立に遭い、針葉樹の下に逃げると三降りでも濡れなかったが、広葉樹の下だと一降りでずぶ濡れになったと田村さんは体験から言う。葉に蓄えられる保水力は針葉樹のほうが上ということである。
苗木代は賄えるだけの補助金が出た。また「官行造林」と言って、区の共有山を国のお金で植林し、50年後に伐採したとき、所有形態によって率が変わるが国に4割、区に6割といった内容の造林事業が進んだ。区(ムラ)の負担はなくいい話だった。昔は「一財産できる」「左うちわで暮らせる」とムラは考えた。県や町も面積は少なくなるが同じような制度を作った。
こうして、人工造林が一気に進み、広葉樹が伐られて山は裾から頂上まで針葉樹に変わっていった。ピークの昭和38年ごろは、1年に300ヘクタールを大屋町域で植林している。旧大屋町の面積は1万4,000ヘクタール、そのうち1万2,600ヘクタール(90%)が山であり、現在、山の面積のうち 7000ヘクタールを人工林が占めている。
しかし、伐採の適期となった今、木材価格が低迷し、伐っても引きあわない。
■山の恵み
山は尾根があって谷があってせせらぎがあって、父に叱られたとき、職場で叱られたとき、どんなときも毎日毎日山へ行って田村さんは癒される。「春の緑になりきらない広葉樹林はとてもきれい。落葉した広葉樹を見ると雪を待つ」「国土の8割が山。雨の8割は山に降る。水の話は山の話。山を守ることは水を守ること」と、山を愛し、山を歩く。山は人もけものも養う。
山は水の供給源である。頂上はからからだが、少し下るとわずかな窪みが出てくる。土を掻いてやると湿っぽい。谷の上からの入り口で、峪(さこ)と山で働く人々は言う。さらに少し下ると土が光る。指を刺すとポツポツ水滴が出てくる。もう少し下って指を刺すとチョロチョロ水が出てくる。山の水源はこの峪と湧き水がある。
田村さんが大屋の大杉地区の関宮との尾根を歩いたとき、ズブズブとふんごんだ。「あんた。そこに入ったらあかんで」と村の人が叫び、「腰まで浸かって出られなくなる」と言われた。また加保のミズバショウも尾根の湿地だ。天滝の上の杉が沢高原にも、大根を作るまでは湿地があった。氷ノ山(田村さんは「ひょうのやま」と呼ぶ)も頂上近くに古生沼がある。これらはいずれも尾根上だが、氷ノ山から続く水脈が湧いていると言う。地元の人はこれを「尾水(おみず)」と呼んでいる。
■木々の嘆き
山の上にはマツ、その下にヒノキ、その下にスギを植える。マツは頂上や尾根などが適し赤土など痩せた土地で育つ。真っ直ぐ伸びた直根が下りるので、幹が強く倒れにくく山の保全に優れている。
峪中(さこなか)はスギがよい。スギは肥沃な土地を好む。ヒノキやマツは峪中では枯れる。ケヤキも肥沃な土地がよい。大きな根を張るので岩があっても育つ。頂上には松(赤土)、直根が下りるので上の部分が強い。広葉樹のコナラやクヌギは根がとても太い。幹を伐ってもまた芽が出て幹が育つ。
山仕事する人は、ここに何を植えるのがよいか分かっている。しかし、大がかりな造林が進み、苗木がどんどん来る。どこに植えるか考えることがおろそかになってしまい、適地適木が崩れた。
森林組合職員として造林事業に携わる田村さんは山をよく知り、全山緑化には疑問をもってきた。「人間社会は男女半々で保ててきた。山も人工林は天然林と半々までだ。悲しいかな大屋は人工林が半分をかなり超えている。但馬では8割いっている町もある」。
森林作業員の通年雇用制度が生まれたが、但馬は雪のため冬の仕事がない。このため人手が足らない県南部に冬は出かけることにした。南は痩せた土地が多い。せき悪林改良事業で「スギは無理でもヒノキなら育つだろう。肥料木を一緒に植えなさい」と向こうで指導を受けた。向こうに適したマツの植林もした。マツの苗は直根が切ってある。切った直根をもう出てこない。植えてもやがて倒れるものが多い。でも植林したマツの種が落ちて実生が出てくる。今はその天然更新のマツが育っている。
向こうの技術者と相談して、前に生えていた樹種を交ぜて植えることができるようになり、ヤマモモやウバメガシなども植林するようになった。さらに林相改良事業として、広葉樹の植林事業もするようになった。三木市にある兵庫県立三木山森林公園では、平成16年台風23号の被害写真が展示されている。森林の荒廃が氾濫の原因になったことを訴える写真だ。
■山が危ない――台風23号と風倒木
平成16年台風23号で養父市大屋地域はとりわけ規模の大きな風倒木被害を蒙った。原因を田村さんは次のようにみる。 豪雨が降ったうえに、強い風で枝葉に貯まった水が落ちた。樋の水が流れるような大量の水が幹を伝う。風が強くても太い木は幹の途中で折れずに、木が大きく揺れて根が切れていき、やがて根から倒れる。根が起きた穴に水がどんどん入り、土砂が崩れ、林が、山が崩れていった。太いスギ林に被害が多かったのはこんな仕組みだ。 峪から谷へ、そして川へ、植林をしたスギもろとも土砂が流れ出した。下流の橋脚には流れてきた倒木が大量にひっかかって流れをふさぎ、水があふれた。浸水した田畑や住宅に倒木が大量に流れ着いた。 田村さんの家の周りでも、全山緑化した山から大量の水が出てきて、家が危なかったようだ。風倒木被害があったのは、たいていスギの人工林だ。間伐など山の手入れができていない。 「人の手で植え育てたものは、しっかり根付くように守ってやらなければいけない。山を放置していると、自然災害になすすべがない。災害の根本は山だ」と強調する。但馬でも里山保全や広葉樹植林の動きが広がってきた。「でも今度は、広葉樹がいいからといって全山ケヤキなんてしないでください」
開催市町 : 養父市大屋町
テーマ : 「森と水 ─ 山の恵みと、木々の嘆き」
講 師 : 田村 準之助さん (元 森林組合、森と緑の公社、県民局勤務)
場 所 : 養父市大屋地域局
参加者 : 衣川、能登、中田、中島、成田、西体、浜野、戸田、峠、
高石、太田、木村、粂井、島垣、向井(一般)
担 当 : 島垣、戸田、小川、友田(記録)
2005年11月、養父市大屋町の大屋地域局で「森と水」をテーマに例会がもたれた。講師は森林組合に37年間勤めた大屋町の田村準之助さん。まず養父市大屋地域局の屋上に上がり、東にそびえる大屋富士と呼ばれている雄大な山を見ながら、林相を紹介していただいた。
頂上付近の濃い緑は県有林でヒノキが植林されている。下は地元の大屋市場区有林や私有林となっている。正面は下まで針葉樹の植林で埋まっている。私有林には雑木(ざつき)が残っている。右のなるい(なだらかな)あたりは昔は畑があったが、今は山に戻っている。左のほうに昔からのヒノキ林を伐ったあとがあり、植林をしなかったら、最初は雑木が生え、やがて松が生えてきた。
田村さんは、「大屋富士を見て今日の話の参考にしてほしい。『大屋のジョージョー、有名ジョー』と言われるようです」と、大屋弁が混じるのを照れながら話を続ける。
■山林の変遷
戦前から船の材料などに木材の供出(軍事用などか)が始まり、戦後は燃料用に木炭を大量に焼いて出した。戦争で家屋が焼失し、木を乱伐した。木材価格が高騰し、木がどんどん伐られた。このため、昭和26年ごろから失業対策で造林をするようになった。
しかし乱伐は進み、山が裸になっていくと、台風が来るたびに災害が起きるようになった。昭和30年代になって、「全山緑化」の国のかけ声でスギ・ヒノキ・マツを植える本格的な造林事業が始まる。
国土保全・災害対策と建築用材確保にねらいがあったようだ。針葉樹は一時的な保水力がある。夕立はだいたい3回ほど強い雨が降って止み、これを「三降り」と言った。山仕事に行って夕立に遭い、針葉樹の下に逃げると三降りでも濡れなかったが、広葉樹の下だと一降りでずぶ濡れになったと田村さんは体験から言う。葉に蓄えられる保水力は針葉樹のほうが上ということである。
苗木代は賄えるだけの補助金が出た。また「官行造林」と言って、区の共有山を国のお金で植林し、50年後に伐採したとき、所有形態によって率が変わるが国に4割、区に6割といった内容の造林事業が進んだ。区(ムラ)の負担はなくいい話だった。昔は「一財産できる」「左うちわで暮らせる」とムラは考えた。県や町も面積は少なくなるが同じような制度を作った。
こうして、人工造林が一気に進み、広葉樹が伐られて山は裾から頂上まで針葉樹に変わっていった。ピークの昭和38年ごろは、1年に300ヘクタールを大屋町域で植林している。旧大屋町の面積は1万4,000ヘクタール、そのうち1万2,600ヘクタール(90%)が山であり、現在、山の面積のうち 7000ヘクタールを人工林が占めている。
しかし、伐採の適期となった今、木材価格が低迷し、伐っても引きあわない。
■山の恵み
山は尾根があって谷があってせせらぎがあって、父に叱られたとき、職場で叱られたとき、どんなときも毎日毎日山へ行って田村さんは癒される。「春の緑になりきらない広葉樹林はとてもきれい。落葉した広葉樹を見ると雪を待つ」「国土の8割が山。雨の8割は山に降る。水の話は山の話。山を守ることは水を守ること」と、山を愛し、山を歩く。山は人もけものも養う。
山は水の供給源である。頂上はからからだが、少し下るとわずかな窪みが出てくる。土を掻いてやると湿っぽい。谷の上からの入り口で、峪(さこ)と山で働く人々は言う。さらに少し下ると土が光る。指を刺すとポツポツ水滴が出てくる。もう少し下って指を刺すとチョロチョロ水が出てくる。山の水源はこの峪と湧き水がある。
田村さんが大屋の大杉地区の関宮との尾根を歩いたとき、ズブズブとふんごんだ。「あんた。そこに入ったらあかんで」と村の人が叫び、「腰まで浸かって出られなくなる」と言われた。また加保のミズバショウも尾根の湿地だ。天滝の上の杉が沢高原にも、大根を作るまでは湿地があった。氷ノ山(田村さんは「ひょうのやま」と呼ぶ)も頂上近くに古生沼がある。これらはいずれも尾根上だが、氷ノ山から続く水脈が湧いていると言う。地元の人はこれを「尾水(おみず)」と呼んでいる。
■木々の嘆き
山の上にはマツ、その下にヒノキ、その下にスギを植える。マツは頂上や尾根などが適し赤土など痩せた土地で育つ。真っ直ぐ伸びた直根が下りるので、幹が強く倒れにくく山の保全に優れている。
峪中(さこなか)はスギがよい。スギは肥沃な土地を好む。ヒノキやマツは峪中では枯れる。ケヤキも肥沃な土地がよい。大きな根を張るので岩があっても育つ。頂上には松(赤土)、直根が下りるので上の部分が強い。広葉樹のコナラやクヌギは根がとても太い。幹を伐ってもまた芽が出て幹が育つ。
山仕事する人は、ここに何を植えるのがよいか分かっている。しかし、大がかりな造林が進み、苗木がどんどん来る。どこに植えるか考えることがおろそかになってしまい、適地適木が崩れた。
森林組合職員として造林事業に携わる田村さんは山をよく知り、全山緑化には疑問をもってきた。「人間社会は男女半々で保ててきた。山も人工林は天然林と半々までだ。悲しいかな大屋は人工林が半分をかなり超えている。但馬では8割いっている町もある」。
森林作業員の通年雇用制度が生まれたが、但馬は雪のため冬の仕事がない。このため人手が足らない県南部に冬は出かけることにした。南は痩せた土地が多い。せき悪林改良事業で「スギは無理でもヒノキなら育つだろう。肥料木を一緒に植えなさい」と向こうで指導を受けた。向こうに適したマツの植林もした。マツの苗は直根が切ってある。切った直根をもう出てこない。植えてもやがて倒れるものが多い。でも植林したマツの種が落ちて実生が出てくる。今はその天然更新のマツが育っている。
向こうの技術者と相談して、前に生えていた樹種を交ぜて植えることができるようになり、ヤマモモやウバメガシなども植林するようになった。さらに林相改良事業として、広葉樹の植林事業もするようになった。三木市にある兵庫県立三木山森林公園では、平成16年台風23号の被害写真が展示されている。森林の荒廃が氾濫の原因になったことを訴える写真だ。
■山が危ない――台風23号と風倒木
平成16年台風23号で養父市大屋地域はとりわけ規模の大きな風倒木被害を蒙った。原因を田村さんは次のようにみる。 豪雨が降ったうえに、強い風で枝葉に貯まった水が落ちた。樋の水が流れるような大量の水が幹を伝う。風が強くても太い木は幹の途中で折れずに、木が大きく揺れて根が切れていき、やがて根から倒れる。根が起きた穴に水がどんどん入り、土砂が崩れ、林が、山が崩れていった。太いスギ林に被害が多かったのはこんな仕組みだ。 峪から谷へ、そして川へ、植林をしたスギもろとも土砂が流れ出した。下流の橋脚には流れてきた倒木が大量にひっかかって流れをふさぎ、水があふれた。浸水した田畑や住宅に倒木が大量に流れ着いた。 田村さんの家の周りでも、全山緑化した山から大量の水が出てきて、家が危なかったようだ。風倒木被害があったのは、たいていスギの人工林だ。間伐など山の手入れができていない。 「人の手で植え育てたものは、しっかり根付くように守ってやらなければいけない。山を放置していると、自然災害になすすべがない。災害の根本は山だ」と強調する。但馬でも里山保全や広葉樹植林の動きが広がってきた。「でも今度は、広葉樹がいいからといって全山ケヤキなんてしないでください」
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