2007年5月例会 「新緑の阿瀬に金山の面影を訪ねる」
開催月日 : 5月26日(土)
開催市町 : 豊岡市日高町
テーマ   : 「新緑の阿瀬に金山の面影を訪ねる」
講 師   : 富山利一さん(猟師、金山最後の住人)
場 所   : 阿瀬渓谷 ~ 金山廃村
参加者   : 中田、木村、峠、原田、谷岡、能登、中尾、友田、藤原じ、
         島垣、浜野、高石、西躰、(会員外)久保、高橋、児玉
担 当   : 中田(記録)、木村

阿瀬渓谷は「ひょうご森林浴場50選」のコースとして知られている人気のハイキング・コースでもある。阿瀬渓谷には48の滝があり、素晴らしい景観をつくっている。
今日の目的地は「金山廃村」。文字通り、室町時代に遡るが、阿瀬川の上流に金、銀の鉱脈があり、かつて1000軒を超える集落があった。

 

今回の例会は、単なるハイキングではない。昭和37年12月26日に最後の住人として「金山廃村」を離れた冨山利一さん、ご本人にを案内していただくのだ。

冨山さんには、但馬学の例会でお話を伺ったことがある。1996年2月「廃村・金山の生活と山の恵み」のお話で、山の生活をお聞きし会員みんな多いに感動した。2000年4月の但馬学10周年記念行事で再び冨山さんのお話をお聞きしたのだが、村を降りるその瞬間のくだりは、何度聞いても心にジーンとくる。

考えてみれば、そんな冨山さんのお気持ちを思うと、「廃村の案内」なんてとんでもないことを依頼してしまったのかと心が痛んだが、かつてお聞きした冨山さんのお話は私の心の宝。今日は、現地で再びしっかりと心に刻みたいと誓った。

第二駐車場まで車に乗り合わせて集合する。冨山さんにご挨拶をして出発。途中のコースを案内板で確認。

 

歩き始めて、5分もしないうちに、道の脇にある大きな杉の木に遭遇する。かつて通り難い個所に道を付け替える為に岩を粉砕する為に発破を仕掛けた時に、その破片が多数、この杉に食い込んだそうだ。

「この杉の中にはいっぱい岩の破片が入っている。間違って伐って製材しようものならノコギリが一発でやられてしまう」と、いきなり冨山さん一流のユーモアたっぷりの案内が始まる。

 

下から5つ目の滝「源太夫滝」(げんだゆうのたき)。阿瀬川と若林川の合流地点にある。まだ、歩き始めて10分も経っていないのに、渓谷の景観にみんな感動である。

「ガラン橋」。今は鉄骨で架かっているが、よーく見ると橋の下には、昔架かっていた橋の木材が残っている。カズラを絡ませて架けたからカラミ橋、さらに訛ってガラン橋になったそうだ。

 

例会の担当をしたKさんと私は、この日の天気予報が気が気ではなかった。週間予報がでた1週間前の予報は「雨時々曇り」(>_<)。ところが前日になって、予報が突然「晴れ」。やったー!(^_^)の心境。

 

打合せのときは、少し脚を故障されていて途中までの案内と言うことでしたが、結局、今日は金山(きんざん)まで案内していただくことができた。龍王滝は、帰路に寄ることにする。

但馬の5月は新緑が美しい。但馬学の5月例会は、毎年山、川に出向いて「気持ちよい季節」を満喫するように企画する。今年の5月例会も最高だ!

 

「不動滝」。阿瀬渓谷の景色を満喫しながら、上、上へと登る。

歩き始めて50分ぐらいで、「関西電力水取口」に遭遇する。阿瀬川の水の一部がここからトネンル通って、下流の「阿瀬発電所」の発電モーターを回す。

「金山廃村」までは、あと20分ぐらい。今日の行程の4分の3ぐらいまで来た。まだまだ、この上にかつて集落があった。最盛期には1000軒も。想像がつかない。

 

だんだんと近くなる「廃村金山」。かつての住民の営みが見えてくる。石垣を積み、田んぼを作り稲を植える。川の両側に石垣が続く。今はそのほとんどが杉の林になっている。当時の米作りの様子は、かなりの想像力を働かせてみないと浮き上がってきにくい。集落の下流に位置する田んぼの一部は、鉱夫の墓地、集落のお墓などがあったと冨山さんから説明を受ける。

 

「廃村金山」に到着する。まず目に飛び込んで来るのが壊れた家屋。金山にあった学校。この建物は私が中学生時代に訪れた時には、ちゃんと建っていた。オルガンもあって、実際に音が出た。それが、今はこの姿。今回一緒に参加した私の高校時代の同級生T君によれば、まだ2年前は建っていたそうだ。
自然に朽ちて行く。その実感は、実際に目の当たりにする以外に得られない。

お風呂の釜。。。。暫し無言。
語ることは出来ない。冨山さんの自宅跡である。

お弁当を食べながら、冨山さんから、「座布団も出さず、お茶も入れずに申し訳ない」と冗談が飛び出す。ここで、当時の生活を語っていただいた。ウサギ狩り、炭焼き、濁酒(どぶろく)名人のこと、そして、発電機を備えた時のこと。

 

話のあった発電機は、今も冨山さん宅から30m程上流の竹やぶの中にあった。昭和30年に初めて灯りが点いたそうだ。電力が余り過ぎてモーターが加熱するので、全戸(6戸)、24時間照明を点けっぱなしするようにしていた。金山集落は不夜城だったのだ。山の上の空は真夜中もこうこうと明るかったそうだ。

発電機の設備は、村の若い衆が手分けをして運んだ。コンクリート袋は背中に1袋、手に1袋抱えて、下の村から運ぶ。今、私たちが歩いて来た道を。気が遠くなる。

 

冨山さん宅裏には清流が流れている。ある時にニジマスを繁殖させないかと下の集落の人に薦められ放流。数が増えるまで獲るなよと申し合わせた。当時はニワトリをさばいて食べることも多かったそうだが、川のほとりで内蔵取り出し、肉を切っていると、バチャバチャとニジマスが寄って来て臓物を食べるそうだ。そもそも食用にするために放流したニジマスだが、鶏肉を食べる姿を思い出すと、食べる気がしなくなった、と。冨山さんのお話はともかくオチがあって面白い。

下山の途中、龍王滝に立ち寄る。大きな岩を伝って滝の下まで行く。

 

写真右下にN君がいるので、滝の大きさがお分かりいただけるでしょうか。金山への道はこの滝の写真左側を通っている。滝の落下地点はその道のすぐ脇にある。

 

金山集落の面影を胸にしまいながら、それぞれのペースで下山する。

もうすぐで出発地点のところまで下山。阿瀬川に夕方の陽が差す。

新緑を眺めながらハイキングするだけでも、充分楽しめる阿瀬渓谷を、今日は冨山さんのお話を聞きながら、金山集落を訪ねることができた。かつての金山の賑わいと、金山集落の存在を語り継いで行かなければならないと強く思った。冨山さんに感謝、感謝です。ありがとうございました。


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