2007,06,25, Monday
開催月日 : 6月23日(土)
開催市町 : 豊岡市
テーマ : 「但馬と曹洞宗のかかわり~禅寺の作法に学ぶ」
講 師 : 大田清旦(長松寺東堂) 前橋泰信(長松寺方丈)
場 所 : 万寿山 長松寺(豊岡市下鶴井2177)
参加者 : 中田、岩本和、岩本名、島垣、高石、浜野、衣川、守山、戸田、
小川、成田、西躰、藤原次、友田、原田、藤原博、能登、峠、
(会員外7名)岸田、北、飯尾、城田、高石蕗、西村 (計25名)
担 当 : 能登、峠(記録)
【ねらい】
昨今の世情は大変殺伐としている。飽食の中、資源の枯渇と地球環境の破壊が忍び寄ってきている。しばらくの間、この喧騒をのがれ、静かに食事をいただき、坐禅を行ずることにより己のなすべきは何かを探るきっかけとしたい。
【場 所】
万寿山 長松寺豊岡市下鶴井2177 宗派は曹洞宗。檀家数約190.。開創は、永享元年(1429)を遡ること数十年前に、若狭小浜(福井県)の妙徳寺から竹堂慧厳和尚が来錫して廃寺を復興されたとの口碑がある。永平寺68世貫首秦慧昭禅師、同じく76世貫首秦慧玉禅師は長松寺の17世と19世である。現住は22世前橋泰信方丈。
【指 導】
東堂(隠居された住職のこと。大田清旦) 方丈(現在の住職のこと。前橋泰信)
【内 容】
①本尊上供
方丈さまの指導を受け、本堂で般若心経を唱えた。木魚と時折打たれる鐘の音が身にしみた。
②中食
方丈様の指導を受け、本堂で作法に従い昼食をいただいた。東堂様が見本を示された。最初に「五観の偈」(ごかんのげ)を唱える。むずかしい言い回しだが、感謝・反省・修行の心・正しい目的、仏道をなすためにこの食事をいただくことを各自確認する作法とのこと。
食器は木製の黒の漆塗りの五つ重ね、應量器(本来は僧侶が托鉢の際に用いる鉄鉢)ともいう。メニューは玄米のご飯、お吸い物、酢の物、たくあん、生ゆば、野菜の煮付け。箸の置き方、取り方、手の支え方、食器は音をさせない、食べる順番、たくあんで食器を洗う、とにかく無駄が全くない。そして静か。ご飯は100回噛む。これで満腹感が得られたのには驚く。テレビを見ながら、好き放題に食べている日常を少し反省した。約1時間半要した。
③坐禅
方丈様の指導で本堂で坐る。叉手の仕方、五体投地の礼拝の意味(頭を地につけ、両手のひらを両耳の傍で上げる。お釈迦さまの足をいただく様子)、坐蒲の使い方、一礼の仕方、結跏趺坐、半跏趺坐、法界定印などを教わり、およそ20分ほど坐る。4~5人が警策をいただいた。音が痛そうで、警策を敬遠したという人がいた。
④法話・行茶
場所を庫裡に移し、東堂様からお茶を頂戴しながらお話を伺った。
* 曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師が永平寺で開創。当時の日本の表玄関は大陸側(日本海側)。その教えは、船で各地に広がった。但馬の中心のルートは、円山川。船は今考えるより遠く出石、養父の方まで上っていた。但馬の曹洞宗寺院は83カ寺、最も古いお寺は円山川河口に属している。1番古いのが帯雲寺(隣村の野上)、2番目が長松寺、3番目が香積寺(隣村の飯谷、長松寺の末寺)、4番目が龍雲寺(浜坂町)、5番目が金勝寺(隣村の下宮)。
* 平安時代は、天台・真言の時代。当時の学問は、仏教を学ぶことだった。学問を志すものは皆比叡山を目指した。但馬の人たちは真面目だった。真面目を表す固有名詞として「但馬の法師」が「但馬法師」になった。
* 江戸時代、山紫水明の但馬は思索上勝れた環境。但馬は禅窟といわれた。各宗派を問わず、人物を生み出す風土。沢庵和尚、池田草庵、浜尾新、近藤英弥(豊岡中学校長、高校に珍しく胸像がある)
* 新しくお寺が出来ると、初代住職が出身したお寺を本寺という。(本寺、末寺関係)
永平寺⇒大乗寺(加賀)⇒禅昌寺(萩)⇒妙徳寺(小浜)⇒長松寺
* 曹洞宗の教え(釈迦の教え) 正法眼蔵95巻。「威儀即佛法 作法是宗旨」仏様の作法。仏様がご飯を召し上がったように我々がいただく(真似をする)即仏様である。泥棒の真似をすれば泥棒である。形は精神を表す。色即是空とまったく同じ。心は形を表す。形の威儀は、内容の仏性、宗旨は言わない。心の威儀は体を言わない。心ともの。理念なき事物はない。理念を言うときは具象を言わない。
* 物事の道理 物事には両面がある。証一方一方暗(一方ヲ証スレバ一方ハ暗シ) 理事一枚=色即是空=平等としゃべつ差別 同時に並べて言わない。師匠がしゃべっている時は弟子はしゃべらない。弟子がしゃべっている時は師匠はしゃべらない。お父さんが表でしゃべっている時は、奥さんは表でしゃべってはならない。
Q&A
* 禅宗と食事 托鉢でいただいたものは全部食べる⇒時代の変化で肉食がなくなった。
* 修行 佛性は、原石のままではダイヤにはならない。千里の道も一歩の上にある。一歩一歩が連続している。それが修行。
* 禁葷酒入山門 「葷酒山門ニ入ルヲ禁ず」 禅寺の寺門の傍に、不浄なものや浄念を乱すものは寺に入ることを禁ずるという意味が刻まれた石柱が立っている。これを「禁ズル葷酒、山門ニ入ル」などと冗談で読み替えるものもいる。
* お寺は、本来道場である。ひとりではなかなか修業は難しい。大勢おれば牽制や競争も生まれ可能。三人居れば大叢林という。道場に入れば、金魚でも龍に変ずるといわれている。
* 法系 長松寺は、世襲でなく師匠から弟子に継がれてきた。これを法系という。師匠からは「陰徳を積め。偉い坊さんよりありがたい坊さんになれ」と言い伝えられてきた。
* お仏壇の前ではどう拝むか。感謝を捧げるのが理屈にあっている。
⑤参加者の所感
* 坐禅、わずか20分だったが、雑念が激しく行き交った。でも普段の生活の中で無作為に区切る20分とは全く違った。(N)
* 坐禅が終って、人には「静態視力」があることに気付いた。「動態視力」は動いているものをいかに的確に見るかだが、「静態視力」はとどまっているものを見抜くというものだ。また、仏壇に向かっては一言感謝することでよいとのこと。これですがすがしい気分になれた。(H)
* 「健全な精神は健全な肉体に宿る」に象徴される心身2元論と異なり、立ち居振る舞いこそが佛法であり、作法に則る行いをすることが仏の教えであるという考え方は、分かりやすく、現在見失われがちな大切なことを教えていると思った。(T)
* どの宗派がいいとか、教義がオリジナルに近いとかは問題ではなく、ただ、心安らかに「作法」をやっていれば、それが「宗旨」というのは、今回の坐禅で納得というところです。(I)
* 玄米は、サジで3回に分けて口に入れる。そして最低100回は噛んで食べる。ところがこれがなかなか難しい。普段、いかに忙しくいただいているのか痛感する。(N)
* 食事をよく噛んでいただくことが当たり前になったら、静かな気持ちで生活するという時間の使い方が普通の暮らしの中で出来るかもしれない。実際家でやってみると食べることに発見がある。(H)
* あれだけの食材で食事が出来ることにショックを受けた。(T)
開催市町 : 豊岡市
テーマ : 「但馬と曹洞宗のかかわり~禅寺の作法に学ぶ」
講 師 : 大田清旦(長松寺東堂) 前橋泰信(長松寺方丈)
場 所 : 万寿山 長松寺(豊岡市下鶴井2177)
参加者 : 中田、岩本和、岩本名、島垣、高石、浜野、衣川、守山、戸田、
小川、成田、西躰、藤原次、友田、原田、藤原博、能登、峠、
(会員外7名)岸田、北、飯尾、城田、高石蕗、西村 (計25名)
担 当 : 能登、峠(記録)
【ねらい】
昨今の世情は大変殺伐としている。飽食の中、資源の枯渇と地球環境の破壊が忍び寄ってきている。しばらくの間、この喧騒をのがれ、静かに食事をいただき、坐禅を行ずることにより己のなすべきは何かを探るきっかけとしたい。
【場 所】
万寿山 長松寺豊岡市下鶴井2177 宗派は曹洞宗。檀家数約190.。開創は、永享元年(1429)を遡ること数十年前に、若狭小浜(福井県)の妙徳寺から竹堂慧厳和尚が来錫して廃寺を復興されたとの口碑がある。永平寺68世貫首秦慧昭禅師、同じく76世貫首秦慧玉禅師は長松寺の17世と19世である。現住は22世前橋泰信方丈。
【指 導】
東堂(隠居された住職のこと。大田清旦) 方丈(現在の住職のこと。前橋泰信)
【内 容】
①本尊上供
方丈さまの指導を受け、本堂で般若心経を唱えた。木魚と時折打たれる鐘の音が身にしみた。
②中食
方丈様の指導を受け、本堂で作法に従い昼食をいただいた。東堂様が見本を示された。最初に「五観の偈」(ごかんのげ)を唱える。むずかしい言い回しだが、感謝・反省・修行の心・正しい目的、仏道をなすためにこの食事をいただくことを各自確認する作法とのこと。
食器は木製の黒の漆塗りの五つ重ね、應量器(本来は僧侶が托鉢の際に用いる鉄鉢)ともいう。メニューは玄米のご飯、お吸い物、酢の物、たくあん、生ゆば、野菜の煮付け。箸の置き方、取り方、手の支え方、食器は音をさせない、食べる順番、たくあんで食器を洗う、とにかく無駄が全くない。そして静か。ご飯は100回噛む。これで満腹感が得られたのには驚く。テレビを見ながら、好き放題に食べている日常を少し反省した。約1時間半要した。
③坐禅
方丈様の指導で本堂で坐る。叉手の仕方、五体投地の礼拝の意味(頭を地につけ、両手のひらを両耳の傍で上げる。お釈迦さまの足をいただく様子)、坐蒲の使い方、一礼の仕方、結跏趺坐、半跏趺坐、法界定印などを教わり、およそ20分ほど坐る。4~5人が警策をいただいた。音が痛そうで、警策を敬遠したという人がいた。
④法話・行茶
場所を庫裡に移し、東堂様からお茶を頂戴しながらお話を伺った。
* 曹洞宗は、鎌倉時代に道元禅師が永平寺で開創。当時の日本の表玄関は大陸側(日本海側)。その教えは、船で各地に広がった。但馬の中心のルートは、円山川。船は今考えるより遠く出石、養父の方まで上っていた。但馬の曹洞宗寺院は83カ寺、最も古いお寺は円山川河口に属している。1番古いのが帯雲寺(隣村の野上)、2番目が長松寺、3番目が香積寺(隣村の飯谷、長松寺の末寺)、4番目が龍雲寺(浜坂町)、5番目が金勝寺(隣村の下宮)。
* 平安時代は、天台・真言の時代。当時の学問は、仏教を学ぶことだった。学問を志すものは皆比叡山を目指した。但馬の人たちは真面目だった。真面目を表す固有名詞として「但馬の法師」が「但馬法師」になった。
* 江戸時代、山紫水明の但馬は思索上勝れた環境。但馬は禅窟といわれた。各宗派を問わず、人物を生み出す風土。沢庵和尚、池田草庵、浜尾新、近藤英弥(豊岡中学校長、高校に珍しく胸像がある)
* 新しくお寺が出来ると、初代住職が出身したお寺を本寺という。(本寺、末寺関係)
永平寺⇒大乗寺(加賀)⇒禅昌寺(萩)⇒妙徳寺(小浜)⇒長松寺
* 曹洞宗の教え(釈迦の教え) 正法眼蔵95巻。「威儀即佛法 作法是宗旨」仏様の作法。仏様がご飯を召し上がったように我々がいただく(真似をする)即仏様である。泥棒の真似をすれば泥棒である。形は精神を表す。色即是空とまったく同じ。心は形を表す。形の威儀は、内容の仏性、宗旨は言わない。心の威儀は体を言わない。心ともの。理念なき事物はない。理念を言うときは具象を言わない。
* 物事の道理 物事には両面がある。証一方一方暗(一方ヲ証スレバ一方ハ暗シ) 理事一枚=色即是空=平等としゃべつ差別 同時に並べて言わない。師匠がしゃべっている時は弟子はしゃべらない。弟子がしゃべっている時は師匠はしゃべらない。お父さんが表でしゃべっている時は、奥さんは表でしゃべってはならない。
Q&A
* 禅宗と食事 托鉢でいただいたものは全部食べる⇒時代の変化で肉食がなくなった。
* 修行 佛性は、原石のままではダイヤにはならない。千里の道も一歩の上にある。一歩一歩が連続している。それが修行。
* 禁葷酒入山門 「葷酒山門ニ入ルヲ禁ず」 禅寺の寺門の傍に、不浄なものや浄念を乱すものは寺に入ることを禁ずるという意味が刻まれた石柱が立っている。これを「禁ズル葷酒、山門ニ入ル」などと冗談で読み替えるものもいる。
* お寺は、本来道場である。ひとりではなかなか修業は難しい。大勢おれば牽制や競争も生まれ可能。三人居れば大叢林という。道場に入れば、金魚でも龍に変ずるといわれている。
* 法系 長松寺は、世襲でなく師匠から弟子に継がれてきた。これを法系という。師匠からは「陰徳を積め。偉い坊さんよりありがたい坊さんになれ」と言い伝えられてきた。
* お仏壇の前ではどう拝むか。感謝を捧げるのが理屈にあっている。
⑤参加者の所感
* 坐禅、わずか20分だったが、雑念が激しく行き交った。でも普段の生活の中で無作為に区切る20分とは全く違った。(N)
* 坐禅が終って、人には「静態視力」があることに気付いた。「動態視力」は動いているものをいかに的確に見るかだが、「静態視力」はとどまっているものを見抜くというものだ。また、仏壇に向かっては一言感謝することでよいとのこと。これですがすがしい気分になれた。(H)
* 「健全な精神は健全な肉体に宿る」に象徴される心身2元論と異なり、立ち居振る舞いこそが佛法であり、作法に則る行いをすることが仏の教えであるという考え方は、分かりやすく、現在見失われがちな大切なことを教えていると思った。(T)
* どの宗派がいいとか、教義がオリジナルに近いとかは問題ではなく、ただ、心安らかに「作法」をやっていれば、それが「宗旨」というのは、今回の坐禅で納得というところです。(I)
* 玄米は、サジで3回に分けて口に入れる。そして最低100回は噛んで食べる。ところがこれがなかなか難しい。普段、いかに忙しくいただいているのか痛感する。(N)
* 食事をよく噛んでいただくことが当たり前になったら、静かな気持ちで生活するという時間の使い方が普通の暮らしの中で出来るかもしれない。実際家でやってみると食べることに発見がある。(H)
* あれだけの食材で食事が出来ることにショックを受けた。(T)
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