2012年〜2013年度 5月例会 「但馬方言物語 その3」


「但馬弁ってあるのだろうか?」「但馬の中でも山ひとつ越すと違う言い方しているね」「昔と今とで使う言葉がどんどん変わってきたね」などと会員同士の興味から今年度のテーマは「但馬の方言」となった。

実際に始めてみると、あまりにも身近すぎて返ってそれを知る・学ぶことがとても難しいことが解る。そこで、但馬の方言を研究されている谷口裕さん(豊岡市立港中学校教諭)に三たび講師をお願いすることになりました。

谷口先生はプライベートなライフワークとして但馬の方言を調査し、それを体系化してご自身のホームページで情報発信をされている。今回のテーマは「語源」。いつ頃、どこから来たのか?始まったのか?

しかしながらなかなか体系化されている文献はないそうだ。言葉は生き物。時と空間を越えてどんどん変化していく。それを捉えるのはなかなか難しいことなんだと改めて感じました。



谷口さんは、但馬の代表的な方言をアイウエオ順に説明してくださいました。1時間以上経ってもまだア行。事例がとても面白いのでなかなか進まない。まさに終わりなきテーマですね、方言って。結論があるわけでもないし、と言うのが私の感想でした。

以下、私なりに面白い、と思った方言の一部を書き出してみました。

あかい  → 明るい     (鈴鹿山脈以西)
あじこい → 美しい、きれい
あはあ  → 阿呆
ありこまち→ あるだけ全部
いか   → 凧       (いかのぼり)
行きた  → 行った     (上方、江戸も)
いぬる  → 帰る
えむ   → 実がはじけて出て来る
えらい  → だるい、苦しい
おけんてい→ そうでないのに、それらしく振る舞う
かだら  → 身体(からだ)
がっせい → いっさいがっさい (合才=がっせい)
かわいい → 可哀想
こーじゃげ→ 大きく見える   (口才=こうじゃ)
ごんたくれ→ 暴れたり周囲を困らす(義経千本桜のいがみの権太より)
しゃっても→ 必ず
じょしゃねえ→ 抜け目ない   (如才)
たらし  → おやつ
びく   → 小娘      (比丘→比丘尼←サンスクリット語)
ひろーす → がんもどき   (ポルトガル語)
ぼいやこ → 鬼ごっこ
よーさり → 夜 

【参照】但馬方言のページ
谷口裕氏運営サイトをぜひご覧下さい。
                                          【文責】 中田
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2012年〜2013年度 3月例会報告 「平 盛嗣(たいらのもりつぐ)~ 但馬の平家落人伝説はウソだらけ?」
日 時:3月23日(土)
場 所:城崎文芸館
講 師:山口久喜(ヤマグチヒサキ)氏

今年度の但馬学の年度テーマの一つが平家落人でした。
平家落人伝説は全国で約150の話が有るとされていますが、その内、但馬には40幾つもの平家に関する伝説、謂われが残っています。これは何を意味するのか、その事を知りたくて山口先生にお話しを聞きました。

但馬の平家に関する記述は平盛継(越中次郎兵)の話以外は全て事実無根の話とのっけから一刀両断された先生、それはなぜか。

まず客観的にみて、落人は絶対にみつからない、知られない、その為には人の中に隠すのが常識、人里離れた中途半端な所は帰って目立つ。例外的には宮崎県の椎葉村とか九州の一部にそのような所に落人が居た記録は残っているが、大半は「人を隠さば、人の中」というように辺鄙な所には落ち延びていない、しかも集団で落ち延びるなんてことは隠れるのに不都合で、ありえない事だ。

では、どうして但馬に落人伝説が沢山残っているのか。それは但馬の研究者が頑張って話を掘り出してきたからだ。

不思議と但馬に残る落人伝説は鳥取に近い所や、海岸線に残っている。それで調べてみたら、鳥取県因幡国府の地に『岡益の石堂(おかますのいしんどう)』と呼ばれる謎の石塔がある。ここは、この地に伝わる平家伝説にちなんで、宮内庁によって安徳天皇の陵墓参考地に指定されている。

この石塔には多くの謎が隠されており、未だに真実が解明されていない。
例えば、心柱のエンタシスと忍冬渦巻蓮弁放射
文様は法隆寺と同じで、新羅や百済、はたまたギリシャ文化の影響まで受けている可能性がある。この謎の石塔が安徳天皇の陵墓だというのだ。

安徳天皇は、二位の尼や越中次郎兵盛継らに守られて戦線離脱してこの地に辿り着いたが、病で崩御した。ここには天皇を祀る崩御神社と殉死した平家一門の墓がある。

但馬平家落人伝説の始まりは全てここから出ていると言っても過言ではない。安徳天皇の怨霊を祀ることで幾多の幸福をもたらしてくれる、所謂、御陵を祀る「怨霊信仰」が鳥取の地で広まり、それが但馬のあちこちに飛び火してき、それに貴種流離譚(本来は高貴な血筋なのに今は恵まれない境遇に居る)の話が結びつき、但馬の辺鄙な所ほど話が浸透していったものと思われる。

それが証拠に、拠り所とするお地蔵さまとか、供養塔は200年も後の事であり、平家物語を語る坊さんとかの話や、当時流行した
逆修信仰も荷担され、悲運な武将と結びつけたがる但馬人気質とが、ごちゃ混ぜに成り、但馬に平家落人伝説と謂われるモノが残るようになった。

以上、お話しは大変興味深くお伺いできましたが、この他にも鳥取から富山に掛けてマレーが多く残っていることや、海部族のお話し、はたまた出石そば伝来の話なども興味尽きない話題でした。

【文責】太田伸吾
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2012年~2013年度 3月例会案内
◆「平 盛嗣(たいら の もりつぐ)〜但馬の平家落人伝説はウソだらけ?〜 ◆
        山口先生の平家落人伝説論が炸裂!!
 
『平家物語』に平 盛嗣(越中次郎兵衛盛嗣)の事が記載されています

延慶本によると壇ノ浦の合戦の後、彼は落ち延び、但馬国に潜みますが、建久
五年(1194年)に捕らえられ、処刑されています。

 越中次郎兵衛盛嗣の名からも察せられるとおり、彼は、越中守・平盛俊の次
男の左兵衛尉で、平清盛の側近であった平盛国の孫にあたります。父の盛俊も
勇猛な武将として有名でした。

 平盛嗣については、平家物語にも多くの記述があります。有名なのは屋島の
合戦での伊勢三郎との詞戦でしょう。

 壇ノ浦の合戦後、盛嗣は、一度、平盛久らと共に都に潜入しますが、都では
平家の残党狩りが厳しく行われていたため、但馬の国に落ち延びます。その後、
彼は、城崎郡気比庄を本拠とする気比権守こと日下部道弘の屋敷にもぐりこみ、
馬飼いとなったといいます。ところが、いつしか彼は道弘の娘の許に通うよう
になり、道弘の婿となります。道弘は、彼がかの越中次郎兵衛であると気がつ
いていたが、黙認していたとか。

 一方、鎌倉方は盛嗣の居所を厳しく追及しており、頼朝は、「越中次郎兵衛
盛嗣、搦めても誅してもまいらせたる者には勧賞あるべし」と皆に披露したと
平家物語(延慶本)にあります。

 そのころ盛嗣は、忍んで度々京に上り、旧知の女の許へ通っていました。や
がて女に気を許した盛嗣は、女に自分の居所を教えてしまいます。ところが、
この女には他にも情夫がおり、女は情夫が「盛嗣を捕らえて勧賞をもらいたい
ものだ」と言ったのを聞き、「わらわこそ知りたれ」と洩らしてしまったのです。

 捕らえられ鎌倉に送られた盛嗣は、「今は運つきてかように搦め召し候上は、
力及び候はず。とくとく道を召せ」と堂々と頼朝に言ったとか。その立派な態
度に、頼朝は盛嗣を助けて召し使おうと思いましたが、彼は平家の侍の中で一
・二の者であり、「虎を養う愁いあり」として、ついに由比ヶ浜で斬ったとい
われています。

―ーーーーーーーーーーーーー 記 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

日 時: 2013年3月23日(土)12:00~

場 所: 城崎文芸館(TEL.0796-32-2575)
    (駐車場に制限がありますので、駅の駐車場にお願いします)

講 師: 山口久喜(ヤマグチヒサキ)氏

〔スケジュール〕

12:00 城崎文芸館に直接集合・昼食(かにずし弁当を予定)
    寒いので厚着でお願いします

13:00 お話・質疑
    弁天山の供養塔視察

15:00 会員トーク

15:30 終了

参加申込  3月22日(木)まで

例会担当: 島垣、小川、太田

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2012年~2013年度 2月例会報告 「但馬の方言におけるアクセントとイントネーション」
日時:2013年2月23日(土) 12:00〜16:00
場所:げんぶ堂2F (豊岡市中陰376-3)
講師:増田恵子さん(豊岡市立西保育園 元FMジャングルDJ)



今年度の但馬学のテーマは「但馬の方言」。今月は豊岡市港地区の方言を題材に方言を考える(感じる)ことにしました。「方言を耳で聞き、感じる」そんな趣旨から「耳の例会」でした。



使用したのは2006年(平成18年)に編集された豊岡市港地区公民館発行の「みなと弁〜残したいふるさとの方言」と言う冊子。

この冊子編集の経緯は「はじめに」の中に書かれている。「30〜40年前に方言をやめて標準語にしようとの時代があった」「方言を使うと田舎者扱いにされ、極力避けて標準語で話そうとする雰囲気もあった。私たちの周りからもみなと弁が消えはじめた。」と言う危機意識から、地区の長老が集まって1年掛かりで編集されたもの。



講師(読み聞かせ)として今回は、豊岡市港地区在住の増田恵子さんにお願いをしました。増田さんは元FMジャングルのDJ、現在は保育園のスタッフとして園児達に読み聞かせをされている。いわばしゃべりのプロ。



「浦島太郎」をみなと弁で語ったらどうなるのか?増田さんの「みなと弁」で物語を語っていただきました。

「むかしな、海辺の村に、浦島太郎というわきゃーもんがおった。」
「こらぁ、そんな事したったら、亀がかやーさぁげだにゃぁかいや。にぎゃーてやれ」
「おみゃーも、こぎゃあなとこにくるで、ひでえ目にあうだわ。はやー家にいね」
「龍宮城へようきてくんなりました。こにゃあだ亀を助けてくんなったお礼に、ごっつぉうをようけこしりゃーてまっとりました。どうぞ、ようけくってくんにゃあ」
「どえらいごっつぉうになりましたが、まぁまた村にもどりてゃぁので、これでしゃあならしますわぁ」

「にゃあ」「きゃー」「みゃー」「ぎゃあ」、まさに母音文化だなあ、とつくづく感じる。



「みなと弁」聴いた後は、会員それぞれの地区ならどう言うのかそれぞれで方言を披露。一言で但馬の方言と言っても微妙にちがうのが面白い。
今の子供達はどんな言葉をしゃべっているのだろう?との意見交換も。テレビなどを通じて、流行、関心事など画一化している。だから言葉も標準化しているだろうか?
家庭でしゃべる言葉、学校でしゃべる言葉、友達同士でしゃべる言葉の使い分けがあるのでは。それは私たちが実際に体験してきている。

今回の例会の世話役でもある岩本くんがイントネーションが音程7度、オクターブあがることばをコントラバスで表現。みなと弁とコントラバスの競演とまではいかなったけど、音階で方言を分析してみるのはとても面白い発想でした。
                                                                                              【文責】中田
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2012年〜2013年度 1月例会報告 「但馬方言物語 その2」
日時 : 2013年1月26日(土)12:00~16:00 (豊岡は大雪)
場所 : 昼食は「ふじの実」
     例会は「とよおか作業所愛とーぷ」(豊岡市上陰164)
講師 : 谷口 裕さん(豊岡市在住、豊岡市立港中学校英語教諭)

◇テーマの狙いと結果
平成24年度但馬学研究会例会のテーマ「但馬方言物語」の第2弾。前回(昨年9月)は方言についての基礎的なこと、但馬方言の位置づけなどを学び、今回は語彙(表現、ボキャブラリー)を中心に、講師と参加者との双方向でにぎやかな学習ができた。



◇レポーター峠のひとり言
当日は、豊岡地方は大雪。吹雪の中を参加者が集まった。会長は、大屋の方はカンカン照り、太陽さんが顔を出していた、日高あたりから雪になった、と言われた。但馬は広いと思った。先生のお話「但馬の方言―語彙編」でもそれぞれが発表し合うと、住んでいる所で語彙にも微妙な違いがあるのが分かり、但馬は広いと思った。但馬学研究会のメンバーはいずれもそこそこの年齢で、但馬各地から集まっているので、古い方言の宝庫かも知れないと思った。講師先生も逆に勉強になったと言われた。以下レジメに沿ってメモをもとに記録することにする。

1、但馬周辺の語彙の伝播経路
・但馬ことばは、主として京都、播州、鳥取から入っている。京都からR9沿いで春来、山陽道播磨から余部、同じく岡山から八頭郡経由で余部、同じく広島から日野郡、鳥取経由で余部である。
・山陽道は伝播が速い(人的、文化的交流が密なため)
・八頭、日野と豊岡には同じことばがある。
・鳥取は方言のどん詰まりで古い言葉が残っている。
・新温泉町にも古いことば「ヨダキー」(気が悪い)が残っている。
・京丹後と南山城郡には同じことばがある。
・アクセントは、なかなか抜けないが、語彙は抜けやすい
・生野町は通婚圏は播州で、播州弁に近い。
・どん詰まりの地域になぜ古いことばが残っているのか。それは、そのことばが伝わってからまだあまり時間が経っていないからだ。
・小代のことばがどん詰まりだ.
・ゆすり音調は、但馬の海辺によく残っている。富山県から北陸を通って伝わった。EX なあぁ。豊岡市の港地区では、わかれへん→わからへん
 出れへん→出られへん しとれへん→しとられへん
・ことばは、日本海沿いに九州まで続いているという説もある。



2、但馬らしい語彙
EX がっせぇ  がっしゃー  語源は合才
   ねしくる(上方でもいう)
   なつべる(まつむ。集める)
   あはう(ahu) あはあ(aha:) 南はあほう
   だらず(新温泉町:ノータリンのこと)
   だらう(大屋、関宮以南)
   うら(後ろ:日高)
   めんだーげな(世間体が悪い)
   さーでなもん(大したものでないこと)
   あたをする(あだうちをする)
   またぞうろ(また)
   いっしく(しょっちゆう)
   いねばらし(稲こき・脱穀)
   へーえあッー(大屋:あいさつ)
   ぼり(もぐ:柿ぼり)
   ぼる(水が漏る。mはbになりやすい)
   こうじゃあ(口が達者:口才)
   あじけえ(きれいに:南但)
   あだける(香住では通じない。上方言葉が少ない)
   ねっつう(すべて)
   ふんごむ
   めりこむ

3、次の語彙はそれぞれの地域では
 (このセクションでは、講師を交え参加者が記憶をたどり自由に発言し、同じ但馬でも「ところ変わればことば変わる」ことが浮き彫りになった。)
●十能〈じゅーのう。柄が木材のもの〉
●小型の十能(せんば。柄が金属)
●竹製の笊(てつき。そうけ。てっつき)
●田植え休み(さなぼり。さなぶり。香住ではしろみて。中国地方ではしろみて)
●襖(東京、四国、但東、浜坂の一部はからかみ。唐紙か?ふすまの方が新しい)
●桑の実(ひなべ、ふなべ、丹波ではふなべ(
●里芋(ずいきも、田芋、こいも)
●ジャガイモ(にどいも、馬鈴薯、はっしよういも、ごしょういも、東北でもにどいも、但馬以外でオランダいも)
●合歓木(かーかの木、こーかんぼ)
●イタチ(八鹿、温泉町ではトマス)
●蟻地獄(ももんじょ、こもこも)
●イナゴ(とっちんば)
●ツバメ(ひーご。飛べないツバメの幼鳥。江戸時代の辞書で妙見ひーご。)
     辞書名は「物類称呼ぶつるいしょうこ。但馬弁も載っている」
●モグラ(むくろ)
●ツクシ(ツクシンボ、スギボーシ、ツクツクボーシ)
●スギナ(マツナ)
●彼岸花(ボンバナ、キツネの嫁入り、キツネのかみそり)
●イタドリ(ダンジン、ダンジリ、カッポン、スッカンポン)
●米びつ(白米の場合,カン、カラト)
●蚕(カイコさん)
●蚕の繭(まゆ、大きい繭はドラ)
●メダカ(5,000種くらいある。コメンジャコ,メメチャンゴ)
●川の洗い場(いと、かわいと、かわせと。香住、浜坂ではいとば。いとのとは止かも。古地図で井戸の表示を見たことがある、峠、友田)
●お手玉(おーさーら。おじゃみ。こびいし。いしなんご)



4、確認のとれない語彙
○ぼーふら(浜坂の一部で、カボチャ。大阪で、唐ナス)
○こもこも(蟻地獄)
○たぐる(大屋、四国では咳をすること)
○とちめんぼー(ふる)(当惑する)
○あまる(雷が落ちる。浜坂で天から余るのでいう)
○ぎゅうかく(きちょうめん)
○コオロギ(くろこ)
                                                                                   【文責】 峠

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